マナスルBC ヘリトレッキング 40 終章

近藤隊長が、加藤保男さんの所属していたカモシカ隊所属だということで、加藤保男さんの墓標を修繕しに行きたいと言っていたが、具体的なことはわからないし、進展も今はない。野遊に、保男さんのお姉さんに会いたいと言ってくれていたが、具体的な話には至っていない。できるだけ近いうちに、野遊から話を持っていくべきと思う。お姉さんはもう色々なことを忘れかけているとかで、ゆっくりしていられないし。

どういう働きかけをしていったら、あの、エヴェレスト街道パンボチェ3930 の丘の上に、取り残されてしまったような保男さんとそのほかの数基の墓碑を、道ごと整備することができるだろうか。

近藤隊長がそれを何とかしたいと発言していたので、野遊はお姉さんが健在なうちにと切に思う。ずっとそう願ってきたが、近藤隊長に出会ったことによって、それが具体化される可能性を見たので、こちらからも働きかけ、思い切り尽力したい。これが来たる年への抱負となった。

マナスルトレッキング、野遊6度目のヒマラヤ、今回もまたたくさんの思い出が増え、そして素敵なことが始まるかもしれない。

マナスルBC ヘリトレッキング 39 改めて思う次回のトレッキング

コロナ明け、すっかり元に戻れない老体ながら参加させてもらえたマナスルBCトレッキング。体が自由に動かず、思ったより歩けなかった。毎年続けていた時は、それでも維持できたけれど、4年間のブランクは決定的だった。でも、それならこの状態でできることを探そう。

4年前に計画したポカラからのサーキットコースを、めいっぱいゆっくり進んでいくのはどうだろう。やっぱりトロンフェディに魅かれている。というかそこに至る道、景色に。標高はトロンラ以外は4000m以下。ハイキャンプからトロンラへは、苦しかったら、いざというときは馬も待機しているとか。

ヘリコプターは素晴らしかったけれど、標高を一気に上げていくのは怖いことが多い。グイと中まで国内線もあるが歩いて行こう。

マレーシアに出稼ぎに行っているシュレスが、あなたがトレッキングするのなら春に帰ると言ってきた。やはり出稼ぎは辛いのか。家族にも会えないし。妻のレディナ、幼い息子。シュレスの宝物だ。

シュレスはガイドライセンスを取得しているのだから、コロナも下火になってトレッキングが復活したので仕事はあるはず。でも帰国したからとて急にオーダーは来ないだろう。

まずは野遊とのんびり歩こう。野遊はシュレスが前向きに生きようとあがいていたころ、ずいぶん生活費やライセンス取得に援助したが、ただ援助し続けては良くない。これは野遊の大事な友人であるオーム(パタン在住。ロッジ経営。柔道家)が教えてくれたことだ。やたらと金銭援助をしてはいけない。仕事した分を支払うようにと。野遊がシュレスをオーダーしてトレッキングするのが一番自然なのだ。

来春に向けて野遊も始動開始。自信があるわけではないけれど、やっぱり自力でヒマラヤ街道を歩きたい。サーキットコースからマナスルを見たい。欲張らないでがんばろう。

今回の山岳隊に参加して、改めてそう思った。

マナスルBC ヘリトレッキング 38 サミット登頂

2023年9月27日。サミットアタック隊からメールが入る。デンジィシェルパから。

ManyManyCongratulations ourGlacier Himalaya Treks&Expeditions managingDirector and all the menbers and Sherpas of the Adventure Guide Manaslu expedition  team for 100% successfully reaching the True summit of MT.Manaslu(8163m)this morning.

Summiteers List 以下 

日本人9人、ネパール人11人。何と喜ばしいことだろう。野遊はもうすっかり日常生活に戻っているというのに、みんなはずっと登り続けていたのだなあ。今夜はひとりで乾杯だ。ちょっと涙ぐんでしまった。

隊長ゆうさん成功おめでとうございます。リストに「Sato」と書いてあったので、苗字を知った。

カッちゃん、挫いた足首を克服して、すごいね。登りはシェルパと一対一で登るそうで、不運にも「歩きながら立ち止まってお祈りを繰り返す」シェルパと組んでしまったそうで、下りはそのシェルパとうまくいかなくなってひとりで下ったとか。あとでカッちゃんの動画を観て知った。あれこれの大変を克服してすごいねおめでとう。

カホちゃんは途中で誕生日で誕生パーティをしてもらったそうでおめでとう、気の合うシェルパと登れたかな、素敵な動画ができたかな、楽しみです!登頂おめでとう。

猪熊さんはどんな写真が撮れたでしょうか、是非拝見したいものです。はじめ写真の数々を見て何と詩的な写真家さんだろうと思ったけれど、本当に優しくて詩的な御仁でした。登頂おめでとう。

…このくらいしか知らんけど。お顔は皆覚えている。

あとで知った人で、もう一人ユーチューバーがいるとかで、動画をあげていた。アキさんと呼ばれていたようで、彼はラストにBCに到着したそうで、足を投げ出すようにして腰かけている写真が送信されてきたが、いかにも「戦った男」の絵だった。疲れ切って、使い切って、けれど誇らしげに見えた。

また、野遊がアルケット村の子供たちと遊んでいた写真を撮って下さった何とかさんもありがとう、登頂おめでとう。

それでデンジーさんもツェパさんもニマさんも(この3人の名前を覚えた)、みんなみんな、ありがとうおめでとう。でもカッちゃんと組んだシェルパには、あんまりお礼を言いたくない。そういうシェルパを配属したのは誰だろう!?どうしたら未然に防げるだろうか。でもシェルパが置いてきたボンベを取りに引き返すとき、カッちゃんはついて行かずに、ゆっくり先に進むことはできなかったのだろうか?自力では進めないのだろうか…

シェルパとうまくいかないこと。今後もこういうことがあるだろう。登山者が潰れてしまうこともあるだろう。検討していかないと。

 

 

マナスルBC ヘリトレッキング 37 野口健さんが高山病とか

2023年9月20日、野遊が帰国したのは14日(木)深夜、その6日後、野遊は野口健さんが高山病でマナスルBCを少し行った地点で引き返し、カトマンズの病院にいると知った。

20日に食事を共にしたのだから、それから約1週間後に、もうBCに行って戻ってきているのだ。ニュースによると、血中酸素飽和度が50台になってしまったそうで、そのままでいたら命を落としてしまうレベルだ。自力でBCまで戻り、何と幸運なことにお天気が良くてヘリコプターが迎えに来て、そのままカトマンズに直行。

練習にと娘さんと富士山に登っていたけれど、やっぱり本番は厳しかったか。アルケットから歩いて登って行けばよかったのにね。どーんと省いて一気に標高をあげたのだろう。サマではトレッキングしたのかなあ?まさかサマも飛ばしてBCへ、という行程ではなかったと思うけど。行程は具体的には、野遊は知らない。

野口さんはマナスルとはどうも不運なことが重なるけれど、諦めないでほしい。とは言わない。サッパリ諦めてほしい。そのほうが野口さんらしい。こだわらない野口さんが好きなんですけど。

野口さんは自分で計画を立て、自分で周囲固めをして、自分の力で登るのではあるけれど、でもしっかりしたシェルパがたに支えられて、手伝ってもらいながら、指針を受けながら、荷物も持ってもらいながら登るのだから、野口さんの登頂は、5段階に分けたら3くらいだろう。なかなか4に行けるものじゃない。(加藤保男さんは5です)

でも生きて帰ることが最善だと思う・・・

野口さんは無茶をしないしてはならない野口さんだもの。山と仲良く手をつないで人生のラストまで元気に生きていってほしい。

無事に帰ってきてくれて嬉しい。

 

マナスルBC ヘリトレッキング 36 帰国

飛行機の大幅な遅れで、予定を半日以上遅く成田空港に着いた。荷物を受け取って、夜、成田エクスプレスで大船経由鎌倉に帰ったのは23時を過ぎていた。家族は寝ていた。猫を抱っこしてから、まずは就寝。

一両日後にダッフルバックが届いたが、これを少しずつ片づけるのにかなり日数がかかった。洗濯は何度にも分けて丁寧に行ない、ザックもバッグも靴もしっかり洗った。いつもより装備が汚れていなかった。

すっかり終わったのは9月も終わりに近い頃だった。何かうら寂しい気持ち。

何かがしこりで残っている。いろいろな旅があるのだ。

でも、「行ってよかった」。

ストレッチ講習会の会員さん方に、ヒマラヤ塩(ブラックソルト)を、小さなジブロックに詰めて100個作った。これがお休みさせていただいた、ささやかなご挨拶だ。

 

近藤隊長は地震で崩れかけた加藤保男さんのモニュメントを、整備しにパンボチェ3930 に行くつもりだと言っていたが実現するかな。保男さんのお姉さんの智美さんは78歳で、もう記憶が飛びがちだとか。先日知人が会いに行って知らせてくださった。

行くのなら年内にでも計画を立てなくてはならないはず。プッシュしてみようかしら。

(写真は地震以前の加藤保男さんのモニュメント)

 

マナスルBC ヘリトレッキング 35 トリブバン空港を発つ

野口健さんのマナスル登頂を祈念してお別れし、タクシーで夜の中ライトいっぱいのトリブバン空港に行き、手続きを済ませてしばし待つ。近藤隊長が二階の解放喫茶に行くのでついていった。隊長は新しいトリブバン空港は今回のマナスル行きで初めてなのに、よく知っているみたいにとっとと先を行く。

少し高みから下の待合所を見下ろしながらお茶を喫した。…優雅だな。

野遊なんて今まで、1人で硬くて冷たい鉄の椅子に座って、耳をダンボにしてアナウンスを聞きながら、じっと待っていたのにね。今はストレスなく、ボ~ッとしている。

これがツアーの楽なところだ。ああ何も心配しなくていいのだ♪♪みんなが動いたら一緒に動けばいいのだ。

さて搭乗してシンガポールに着いて、トラブルが発生。飛行機の具合が悪いそうで、ものすごく(何時間も)待たされることとなった。けれど今回は隊長や仲間たちと一緒に居ればいいので、待たされるのは疲れたけれど苦痛というほどではなかった。

ようやく替えの飛行機が来て日本に向かった。野遊は通路側だったり真ん中だったりでつまらなかった。隣のアジア系男性が足を広げて座って、狭かった。早い時期に自分で申し込めば、座席を選べる。個人で行く場合なら。

というよりも次回、エコノミーを卒業してみようかな。(#^.^#)

(写真はタメル。隊長がここはおいしいよと言ってランチしたレストラン。覚えておこう)

 

マナスルBC ヘリトレッキング 34 ラストナイト

9月13日23時にトリブバン空港を発つ予定なので、もう遠出はせずにフジホテルの並びにできた新しいレストランでディナーを楽しむこととなった。

これからマナスルに向かう野口健さんが寄ってくれて夕食を共にした。近藤隊長は野口さんが初めてエヴェレストに立った時にガイドしてくれた人なのだった。 

2015年4月のネパール大地震の時EVBCに居て雪崩に遭い、やがてソルクンブで過ごした野口さんに、野遊はその時の話を聞きたかった。そして野遊がすぐ近くにいたこと、互いに何をしていたかなどを話し合った。

「ソルクンブ通ったんなら手伝ってほしいことがたくさんあった」と野口さんは言った。もう交信に忙しくて手が回らなかったそうだ。野遊も相当心細くて、天災により人影の極端に少ないトレッキングウェイで、この人に出会えていたなら、どんなにホッとしたことかと今さらながら思わずにいられなかった。

でも、あの地震の話を共有できる人が野遊にはいなかったので、野口さんと語り合えたことは本当に嬉しかった。

(写真は、早口で明るく話をしまくる野口健さん)