ミヤマキリシマ山行(20)海のような北千里浜

山荘の横手から登りだすと、やがて雨があがった。時計を見ると10時。ガスがせわしなく動き、時々陽が射した。こういうときの嬉しい気持はなんとも言えない。でも、まだ一気には見渡せない。このまま登っていいのよねと思いながら、だんだん不安になってくる。

向かい側から集団が降りてきた。ちょっとほっとする。すれ違うとき、わかっているけど聞いてみたい。「このまま行けば、久住分れでいいんですよね」とか、「久住分れまであとどのくらいですか?」って。ところが、向こうから先に声をかけてきた。
法華院温泉山荘まで、あとどれくらいですか?」
「出てから40分経っていますので、下りならその半分くらいと思います」
「エー、まだそんなにありますか。もうさんざん下ってきたのに」
「エー、まださんざん登るのですか」
と言い合って笑いながら別れた。

北千里浜が目の前に広がり、ガスに巻かれるとどっちへ行っていいのかわからなくなる。ガスの切れ間に行く手を見定めて歩き続けた。岩に黄色いペンキで丸印が、ちょうちん行列みたいにつけられてあり、迷うことがないはずなのだが、ガスに巻かれると困った。

MとSが言っていたように、道が年々少しずつ変わってきているらしく、正道でない道にも黄色いペンキ印がついていたりして、視界が狭いと、そちらに行ってしまうのだ。ガスが切れてよく見渡すと、一筋違った道に新しいペンキ印を見出し、ありゃりゃと思って引き返すときなどはストレスを感じた。

そのうち古いペンキ印との見分けがつけられるようになっていき、警戒しながら登ったが、やはり時々間違えた。新しいペンキ印が大きな岩についていたりした場合、その岩の、歩きやすそうなほうに進むと、反対側に進むのだったりする。どこも歩けそうな道なので、全容が見渡せないとわかりにくいのだ。そのたびに戻っては登り返した。ストレス。

これは濃いガスに包まれてしまったら、迷うだろうなと実感した。だからこんなにちょうちん行列みたいに印が並んでいるのだろう。ペンキに導かれ、何とか高度を上げていった。ふり返ると、北千里浜は広かった。この広い中を一筋、人間が歩いているのだな。それにしても、なんで「浜」なのだろう。海のように広いからかな。

海のような北千里浜よ。野遊は、登って下ることに専念する登山者でありたくない。でも最初はしょうがないんだ。海のような北千里浜よ。野遊は、この浜のど真ん中でゆっくりと大の字になってみたい。時間も度外視した空間で。海のような北千里浜よ。野遊は、だから、そのために、きっとまた「ここへ来る」。きっと来るとも!