2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧
遠い声のスニーカーボーイ、彼はロッジでは、我々が分厚い靴下を履いて寒がっているのに、なんと素足にゴム草履だ。午後の高所順応トレッキングでも、そのゴム草履だったことがある。雪と岩の登り道なのに。夜はどうやって眠るのだろう。あの個人装備のサイ…
遠い声のスニーカーボーイ、彼の役名はキッチン・ボーイだった。 朝は洗面器に、大して温かくもないわずかなお湯と、ものすごく不味い紅茶を持ってきてくれた。紅茶カップには最初からスプーンがさしてあり、これでお砂糖をかき回すらしいが、シュガーレスの…
やがて凍った道は終わり、広いきれいな道が開け、歌を歌いたいような気持の道になった。 歌おう!・・・そうだ、ゴダイゴの『ガンダーラ』。リフレインの箇所だけだけど。In Gandhara Gandhara They say it was in India Gandhara Gandhara the place of lig…
夕方から雪が降った。夜中にやんだ。朝の道は凍結していた。下り道。滑る。つかまりどころのない道だった。見た目は同じアイスバーンでも、そっと置けば滑らないで通過できるか、置いてみなければ判断できない。そこに向かって足を繰り出すおぼつかなさは何…
最後に。野遊は、この夏、ひとりのネパリを1ヶ月ほど日本に招待する。貧して他国に出稼ぎに行こうとしている彼を止めた。彼は夢を持っていた。日本語をしっかりマスターして、将来立派なサーダーになりたいという夢。今出稼ぎに行ったら、もう勉強する機会は…
街のそこここに座り込んでいる乞食。昔絵で見たような、本格的な乞食だ。歩きながら人にまとわりついて物乞いする乞食たちも多い。 若い美しい女性が片手を差し伸べ、片腕に裸の赤ちゃんを抱いて、哀しげな、物憂い目で見つめながら低い歌のような言葉を発し…
カトマンドゥの観光地を歩いていたら、広場のようになっている道路の真ん中に、まるで護送車みたいな胴体の長い暗い車が止まっていた。うしろが開いている。警官が我々に「ちょっと寄って見ていくように」というそぶり。指示されるままに中を覗いたら、縦に2…
ネパールに、良き為政者がいればと思うが、ネパールの政治家も、国民たちと意識が同一線上にあって、裕福になればさらに、自腹を肥やすことにばかり精を出している。 ヒマラヤ街道も、学校や吊り橋や水力発電所など、他国が援助して発展した生活文化はそここ…
登山やトレッキングの手伝いをしたり、旅行者の世話をして過ごすシェルパ業。 高峰を攀じる登山者につくシェルパ、トレッキングロードを誘導するシェルパ、ネパール市街を案内するシェルパもいる。彼らを総じてシェルパと呼んでいるが、シェルパ族としてはお…
野遊がヒマラヤトレッキングでお世話になったポーターやキッチンボーイたちも、やがてそれだけでは暮らしていけずに、出稼ぎに行くことになる人が出るだろう。現に野遊たちをサポートしてくれたシェルパの一人が、この仕事の後、マレーシアに出稼ぎに行くそ…
(38)「出稼ぎ」の続き 以下、4カ所からの抜粋文【マレーシア人口の1.64% ネパール人労働者 南北に細長いマレーシアは、ネパールの2.3倍の面積があり、その人口はネパールより200万人少ない。だが、スズや鉛、ボーキサイト、金、石油、天然ガスなどの天然…
2週間のトレッキングの後はカトマンドゥ観光旅行になり、毎日おいしいものを食べて体調も回復し、ヒマラヤ遊覧飛行に参加したりと遊んで帰路についたカトマンドゥ空港で、野遊は異様な光景を目にした。野遊たちと同じバンコク行きの飛行場には、多人数のネパ…
一度この目でヒマラヤを見たいという願いがかなったすぐあとに、再びここに来たいという気持になるとは驚きだった。人って〜人って〜いったい〜・・・初めてのときは右も左も平面上でしかわからなかったが、こうして一度、この身をかの地に置いたのだから、…
期待していた山を見たときの喜びは格別なものがあるが、思いもよらぬ喜びもある。それは岩峰だった。二つの岩峰。Pharilapghe 6017m …ゴーキョから見てドゥドポカリの向こう岸、レンジョパスの前面に聳えている。 Cho La Col 5690m …チョラパスの岩壁。ゴー…