ミヤマキリシマ山行(23)蛙鳴蝉噪のかわいいヤッホーに包まれて

久住王山から、今来た道を下りながら、野遊は失敗したなと感じていた。お天気にウジウジして、ここまで、もうここまでと足を伸ばしたのだったが、ここは回れるのだ。往復しなくてもいいコースだ。そうすれば稲星山にも立てたのだ。野遊は分岐点から久住、久住王とそれぞれ往復登山をしてしまったことを悔いた。ちょっと、相当、モウレツに、激しく悔いた。主峰周辺の、この稜線を歩きたかった。サミットに立つだけではただのピークタッチだもんね。同じくらいの時間であろうに、野遊の臆病心が、「この山。まだ行けそう、次はこの山」って、そういう登り方をしてしまったのだ。

でもピッチを上げるためにザックをデポしちゃったので、そこに戻っていった。知らない道をぐるっとまわるのは、もし途中で急に困難な道で時間を費やしたり、強い雨にでも見舞われたら対処できないと思ったから、知っている道をひたすら戻ったのだ。常に心の中で「コワイ、コワイ」と思い続けて歩いていた。そしてだれにも会わないまま、ザックの地点まで戻ることができた。戻るとほっとして、神様ありがとうと思ってしまうほどだ。とにかく周辺に人が全くいないというのが、未熟者には不安だったのだ。

しかし戻ってから思ったのだが、この時間、この状態で回れた。決意して取りかかった天狗ヶ城から久住王山への道も、ふりかえって思えば一気だったではないか。ああ・・・これが・・・1700M台の山ということかもしれない・・・と、思った。野遊は緊張して、3000M峰と同じ気持で対していた。山から山への道のりが、もっと長く困難だという気がしていたのだ。地図で行程が記されてあっても。これは野遊にとって「ひとつの発見」であった。(やがて次ぎの山行「朝日連峰」にこれがつながり、そこでまたまた新しい発見をし、山はどこまでいっても、自分の狭い体験だけではどうしようもないのだということを思い知らされるのだが)

そこから久住分れまでの道も、だれもいなかったが、たしかに上から眺めたとき、きれいな道がついていたので心配はなかった。それに、久住山の頂上から、たくさんの人たちが「ヤッホー」のエールを送ってくる声が聞こえている。どこかの高校の修学旅行かサマーキャンプか、間断なくエールが飛んできて、野遊にではないのだろうが、上からは目立つのかもしれず、思わずこちらも「ヤッホー」と言ってしまったら、たちまち雨のようにエールが返ってきて、見あげるといっぱいの小さな人影がいっせいに手を振っている。応えても応えても切りがなく、野遊、ひとり笑いしてしまう。

蛙鳴蝉噪のようなヤッホーの中、久住分れに着いた。14時40分。さてここからは西千里浜を突っ切って牧の戸分岐を見過ごし、扇ゲ鼻へまっしぐらだ。