ミヤマキリシマ山行(25)扇ゲ鼻、緑と緋色の海の中

牧の戸と扇ゲ鼻の分岐に着いた。ここか。いかにもほっとして景色を眺めると、
昨日雨の中登った平治岳が赤々と太陽に照らし出されて、燃えるように光っているではないか。嬉しくて胸がいっぱいになる。「Mさぁん、Sさぁん、ヤッホ〜♪」

扇ゲ鼻に登っていくと、赤川登山口という標識があり、下山路がついていた。それを左に見過ごして扇ゲ鼻のピークに立った。ピークにも新しい道標が立っていた。「扇ゲ鼻」。15時。西千里で不安にかられながらも、久住分れから50分で来たのだった。

ふと見ると、先ほどの牧の戸との分岐に向かって、西千里浜から長い行列が歩いてくるのが見おろせた。皆同じ服を着ている(トレーニング用のジャージの上下に見えた)。あれがさっきの、久住山からの蛙鳴蝉噪だな、と思ってニヤニヤ。上からはよく見渡せるけれど、あの地点からこちらを見あげる人はなく、だれも気づいていないようで、「ヤッホー」と言ってはみたが届かない。
「みんな元気でね!」と、エールを送った。

さて先ほどの赤川登山口という道標まで戻り、15時20分、下り開始だ。

それにしても道標ってのはわけがわからないことがあると思う。ここでも「赤川登山口」とだけ堂々と書かれた道標が立っているのはどういうものだろう。
少し登れば同じつくりの道標があり「扇ゲ鼻」と書かれてある。これはわかる。つまりここが扇ガ鼻だという意味だ。では「赤川登山口」は?

「赤川登山口へ」と書かれるべきではないだろうか。または「赤川登山口まで何キロ」とか。でなかったら「赤川登山口」の下に、その方向に矢印を入れておくのでもいい。一番いいのは、「赤川下山路」と書かれることだ。

「そのくらいわかれよ」と言わないでほしい。初めての人はこういうちょっとした表現でいちいち不安になるのだ。「だからここは一体どこなのよ、もう登山口なの?」と考え込んでしまったものだ。

と言えば笑い話だが、地形がもっとわかりにくい場合など、こういう表現は悩みのタネになる。山のあそこここで見られるが。