ミヤマキリシマ山行(29)番外事項

旅行についてもそうだろうが、特に登山について思うのは、不明の遠地で、あれこれに発生する料金のこと。不便なところにいるのだから、背に腹は変えられないことがあり。だから仕方ない、という登山者の気持を、提供側が逆手に取ることがある。

このたび赤川温泉山荘から瀬の本までのタクシー代で、先にその行き方を勧めてくれたMが、入山時、電話で問い合わせてくれた。2000円と言われ、それなら個人で支払えるよねということで決めた。

野遊は赤川温泉山荘から、明日のタクシーをお願いする手続きをして、その際料金を再度確認した。タクシー会社は2000円ですと応えた。

けれど瀬の本に着いたら、4500円とかだった(細かい数字は覚えていない)。それは、迎え代2000円と、さらにメーター制なので先に言った2000円を些少超えたのだった。

先にこう言ってほしかった。「山荘から瀬の本まで、約2000円です。そして迎え代が2000円です」

客はいくらかかるかと聞いている。タクシー会社は、いくら支払えばいいかという意味だということくらい、知っているはずだ。全額をちゃんと言うべきだ。

野遊はほかの登山者方と同じように、登山中でもあれこれの料金については、できるだけ抑えたいという気持がある。できるだけ贅沢しないように気をつけている。でも、必要なものは当然支払うし、「よしっ」と、贅沢することもある。

でもタクシー代は2000円ですと言われて、下りるときにその2倍以上を請求されるのは不愉快だった。

金額を聞いて判断する登山者もいるだろうから、業者側も安く言いたいだろう。

野遊は今後は、ちゃんと先回りして聞くだろう。でも、いくらかかりますかと普通に聞いて、こんな目に会う登山者(旅行者)が、これからも出るだろうことを防ぐことにはつながらない。

これは微妙な言葉の問題かもしれないが、明らかに業者側に魂胆が見られると感じるので、「旅行者よ、もっと賢くなろう」ではなくて、「業者側よ、もっと善意であれ」と言いたい。

上記は単なる例に過ぎず、野遊は時々こういう種類の思いをするから書いた。特に今回の九州行で、何度か似たような思いをしたので、ここに書いた。

このことは「yahho 知恵袋」でも論議の場があり、過激な意見もあった。(過激派はきっと一種の被害者だろう)世の中、良心的であってほしい。