朝日連峰縦走(1)朝日連峰にたどり着くまで・飯豊連峰の思い出

まず前奏曲がある。野遊が朝日連峰を語るには、初恋の山、飯豊連峰から始まるのだ。

昔々、野遊19歳の夏、山岳部の夏山集中登山は飯豊連峰だった。

何も知らずに参加申し込みをしたが、この山岳部では、夏山縦走は男の殿堂だった。女性が参加できる企画山行はスキーシーズンのゲレンデスキー、春の新人歓迎ハイキング、サマーキャンプ、秋のハイキング、忘年山行のほかに、月例山行があったが、春山合宿、夏山縦走(集中登山など)、初冬の山(BC放射状アタックなど)、この3企画に女性部員が足を踏み入れたことはなかったのだ。

女性はたいてい友達に打診して数人で参加申し込みを行っていたようだが、野遊は別に深いわけもなく、山行計画書の回覧板に名前を記入してしまった。飯豊連峰がどこにあるのかも知らないまま(>_<)

新人が単身で参加申し込みをしてきたので、時の山岳部部長(この飯豊登山のリーダーでもある、野遊が「親分」と慕った鎌瀧昌弘先輩)は、あれこれ考えてくれたようで、当時いちばん活躍していた女性部員数名に参加の呼びかけをし、Yが参加することとなった。細かいいきさつは知らないが。

部長が「この企画は君にはまだムリだよ、サマーキャンプがあるからそっちにしたら」とか言ってくれたなら、野遊はそうしただろう。そしたら野遊の歴史も少し違ったかもしれない。

参加者10数人、本隊は女性2名を含む4人で、石転び沢を登った。日中の気温は40度を越していた。夜行3泊4日、集中場所は与四太郎池。

装備に登山靴と書かれてあったのにキャラバンシューズを履いて行ってしまった。これが登山靴だと思っていた。部で借りたXアイゼンがキャラバンシューズになじまず、先輩のでっかいアイゼンに割り箸を挟んで急遽装着してもらい、その先輩はアイゼンなしで雪渓を登った。(下りでなくてよかった・・・)米倉憲冶先輩。今も感謝。

全日晴天で、与四太郎池のほとりで全員無事に出会い、夕食後に花火で遊んだ。

あんなに苦しかったのは初めてだ。あんなに厳しかったには初めてだ。あんなに楽しかったのは初めてだ。充実していた。勉強になった。感動的だった。日焼け雪焼け反射焼けで唇は腫れあがり、顔の皮はいつまでもむけ続け、秋には頬にそばかすが残った。これは飯豊の勲章だ。

そして飯豊連峰は野遊の初恋の山となった。

*石転び沢の思い出*
無言にてレモンむさぼる我を見てまな板セット持とうと言う友
あえぎつつただただ登る雪渓のにっこうきすげの恨めしきかな