朝日連峰縦走(2)朝日連峰にたどり着くまで・北ア、南アを経て

飯豊の向こうに連なる山々が朝日連峰であると聞き、野遊は、この飯豊よりもなお奥深いイメージを朝日に抱いた。けれど飯豊でバテバテの自分の及ぶところではない。いつしか朝日連峰は遠くにありて想う山となった。

その年の冬は八ヶ岳縦走で、野遊の夏山参加から、女性が加わるようになっていった。男性10名、女性2名。夏の先輩Yと交代して先輩Nが、野遊と組んだ。

次ぎの夏山が忘れられない北アルプス全山リレー縦走。部員100人が7,8月の2ヶ月間で、北アの稜線を全部歩こうという大きな計画だった。もちろんこの企画は女性の参加に大きく門戸を開いた。

野遊が歩いたのは「蝶が岳」「燕、槍」「徳本峠越え、槍、北穂、奥穂、前穂」「白馬、八方」「劔、立山三山」で、もうすっかり北アの虜に。

やがて南アルプスに目覚めていった。そして気がついたら北、南アルプス全山縦走を為し終える日を迎えた。北のラストピークは赤牛、南は千塩尾根を歩いて「ぶっちぎり全山縦走」を、何十年という歳月をかけて達成したのだった。

ちなみに初めてアルプスを訪れたのが野遊19歳、ラスト・ピーク南アの千塩縦走が31歳、北アの赤牛が45歳だ。ざっと25年かけて北ア、南ア、八ガ岳、谷川岳丹沢山塊の全山を歩いたことになる。(それ以降も好きな山は重ねて歩いてきたが)そして今年で還暦を迎えた。

今は体力もないし、自分のできる山行をしていこうと思っている。昨年雲ノ平を歩いた折、九州の友達ができて、久住山を紹介してくれた。そして今年のミヤマキリシマの時期に、連れて行ってくれた。野遊は前半ミヤマキリシマ咲く大船、平治岳を彼らと歩き、次の日は単独で久住、久住王山を歩き、赤川に下った。(「ミヤマキリシマ山行」に記載)

土地勘のない山をひとりで歩きながら、緊張していたせいか、山から山へのつながりが、たどり着くたびに、意外と「こぶり」に感じられ、驚いたものだ。

そうか。1700Mの山は、そうなのか。野遊は北アルプスの山から山へと同じボリュームの意気込みだったので、この差について妙に感心したものだ。

それならばと心に浮かんだのが、異次元世界に煙っていた朝日連峰だった。