朝日連峰縦走(13)太陽とガスの協奏曲

行く先が見渡せるって、なんと安堵感のあるものだろう。ガスの上方からチラチラのぞいていた陽が、今は全部降り注いでいる。

見まわした。きれいな道だ。長く続いている。広い。大きい。おんもりと雄大だ。
草原のど真ん中! 緑に混じって、色とりどりの高山植物が咲き乱れている。うわ、マツムシソウだ。いっぱい、いっぱいのマツムシソウに、フウロウソウがまとわりつくように咲いている。この紫が、藤色がが好き。緑 紫 藤色 緑、黄色 紫 桃色 緑。

まもなく暑くなってきた。こりゃ暑い。たまらない暑さじゃないか。ヤッケを脱いだ。人間の体って現金なもので、先ほどあんなに気になった冷えなんか、ころりんと消えて、全身がじりじり暑い。こっちのほうが疲れそうだ。はぁはぁ・・・「風〜風〜」と呼びながら歩き、「景色が見えなくなってもいいからガスと風〜」と思った。

そういえば昨年、三俣蓮華あたりで会った登山兄さんが「全部見えてしまうのもいいけど、たまにチラ、というのもいいものだ」とか言っていたが、それは仕方なくそう言っているのかと思ったことがある。でも、そういう好みもあるかもしれない。喜びが凝縮されるのだろう。

それに晴天一点張りは、なんといっても逃げ場がなく暑い。暑くても晴れたほうがいいと言う人のほうが断然多いし、野遊もそうだったが、今日ただ今よりそれを返上、景色半分でいいから涼しいのが時々来てほしい。

するとなんだか野遊の呼び声に答えるかのように、ガスが湧いてきてまた視界が効かなくなっちゃった(>_<) でも体はほっとする。ああラクだ。だけどやっぱり景色が見えるほうがいい。せめて行く先だけでも見えてほしい。 と、思うとまたガスが流れて景色が見える。やったぁ、わぉ暑い! ちょっとだけ風〜! もう〜たまに見えるだけでいいからガス〜 

太陽とガスの協奏曲を浴びながら歩いた。見えなくとも、今目に見た景色や行く手がしっかり焼きついていて、ストレスはない。

でも1回間違えかけた。広い草原は道的道?が派生していることがあり、うっかりそちらに行ってしまい、なんとなく「ヘンよね」と気づく。でも即引き返さない。もう少し行ってみようと思ってしまう。ガスの晴れ間に立ち止まってじっと見渡すと、あの隠れたあたりに道があるみたい、とか感じ、しぶしぶ戻っていくことになる。ロスタイムが残念。何でこういう場所で違う道に入って行くのだ。野遊の山勘が悪い。こういう場面を野遊資料館に保管、反省材料にしていく。

上から見たらなんという図であることだろう。野遊はちっぽけな点だ。わずかに移動し続けるゴマみたいなものだろう。それが違うほうに行ったり戻ったり、うろうろしながら進んでいるのだ。


ほい、と出たところに狐穴小屋があった。登山道を左に少し入って行ったところだが、これは標識のお陰でわかった。狐穴小屋12:30着。大鳥池小屋から6時間40分かかった。お昼♪にしよう。