朝日連峰縦走(28)月山登山口から山形駅へ高速バス

月山登山口で下車すると、ここにも人影はあまりなく、広い道路の向こう側におみやげ物売り場がある。午後の日差しは真っ向からジリジリ照らし、野遊は喉が乾いた。さっき、といっても1時間も前になるが、大井沢のバス停で、銀玉水で汲んだ残りの水を飲み、あとは捨ててしまった。もうバスに乗るだけだと思ったから。道路を渡って飲み物を買うことはできた。自販機も見えていた。

でも野遊は「タカをくくっていた」。(これで失敗の憂き目を見ることとなるのだが)。ここから山形駅行きのバスに乗るのだから、降りてビジネスホテルに行けば、本日の行動はフィニッシュだ。喉が乾いても、もう少しがんばろう。それは、もうすぐバスが来る時間であることもあったし、自分で「もういいはず」と判断して捨てた水を買うのが、失敗行為みたいな気がしてイヤだったのだ。

ミカンがあればなぁと思った。あのミカンは、竜の小屋で、隣の単独者が、雨の中出発する前に、野遊にくださったものだった。荷物が多すぎて、いつも、もう1回このまま登山できるほど余って下山しますと言っていた。

彼は、「休暇が取れると山に登りたくなります。家族に白い目で見られて、出かけるときはふてくされた出発になります。でも登りに来てしまいます。僕はどうして山に来たいのだろう」と。

「あ、ミカンの皮、ここに入れてください」とゴミ袋を差し出され、なんと親切な人だろう。しかし工夫なく膨れあがったゴミ袋だった。
野遊はその場で食べられなかった。今、後悔していることがある。
あのときお礼を言っただけだったけれど、こう言えばよかった。
「貴重な物をありがとうございます。もったいなくてすぐには食べられないから、明日、サミットでいただきます」と。

ところがそのまま下山してしまった。それを可愛い坊やにあげてしまった・・・うわ喉が乾いたなミカンがあればな〜、と思っているところにバスが来た。山形行きと書いてある。
山形駅に行きますか」と確認して乗車した。不案内なところでは、運転手さんに「自分はどこに行きたいのです」と、告げておくほうが安心できるからだ。

バスはこれまたがら空きで、数名の乗客だったが、高速道路に乗ってからは、野遊の横の少年と二人だけとなった。この少年は小学生くらいで、運転手さんと知り合いのようで、時々話をしていた。
さっき乗車したバスも、ご婦人と坊やは、運転手さんの知り合いというか、家族だった。運転手さんはご婦人の息子で、坊やの父親だった。何やらここでは、観光客がシーズンを中心に利用して、近所の客がたまに利用して、家族が乗用車代わりに利用して、なんていう世界かもしれない。有名な観光地ながら、この人数はやはり田舎なのだ。田舎って悪い意味ではないよ、念のため。

窓の景色を眺め、野遊は早くバスを降りて山形のホテルに入りたいな、ゆっくり水を飲んでお夕飯食べたいなと思っていた。大井沢で別れたタキタロウ組はどこで昼食だっただろうか。そのままバスに乗った野遊はお昼を食べそこねていた。
でも文明の利器に乗ってしまえばこっちのもだと、くつろいでいた。これが失敗の元だったのだ。