朝日連峰 障子ヶ岳 17 「朝日軍道」

直江兼続の造った伝説の朝日軍道は、今は全部を歩けないのだが、歩けるところをたどる登山者がいると聞いたことがある。天狗さんも歩いたことがあるそうで、「一度にですか」と聞くと、そうではないそうだ。南方は途絶えている箇所もあり、以東岳から出羽のほうに抜ける北方の道は荒れているのではないかと思うのだが、「朝日を全山縦走した」と言う天狗さん、ちょっとニンマリとした。やっぱりこういうのはうれしいことなんだ。単純な喜びながら、純粋で価値高い喜びなのだ。

たとえば先日、野遊の友達が、満面の笑みで「百名山を全部やった!」と言った。思わず抱き合って祝福してしまった。彼女はすでに若くない。つまり年月がかかっている。どれほどの根気が要ったことだろう。ラスト2の山が飯豊連峰の飯豊山(飯豊の主峰)で、劔は、よほど敬遠していたのかラスト1となった。

早月尾根から行くと言っていたので雷鳥に降りればと野遊は言ったが岩が怖いとかで、ツアーもよく利用してきたそうだが雷鳥からの往復なので参加の決心がつかず、ガイドを雇って早月を往復したそうだ。1日3万円で2日。それとガイドの宿泊などの実費。そうまでして百座に立ちたかった友。

それがなんだっていうのだと言ってしまえば自己満足なのだが、なんと美しい自己満足であることか。執念がなければできない(お金と時間も必須だが^_^;)彼女の中の達成感は、彼女を一生支えるだろう。おめでとうの言葉も感極まるほどだった。

野遊は「日本百名山」は愛読書だが、深田久彌信奉者というわけでもないし、彼の指名した山のサミットだけを極めたい(ショートカット)という気持はないので、百名山ハンターとは価値観が違うけど、縦走路を全部歩きたいという欲望があるタイプで、人間の欲望もさまざまである。

南アのラストの縦走路を歩いたときも、北アのラストの一座に立ったときも、野遊はジンときたものだ。これで野遊が今後どうなるわけでもないのに、自分に対して誇らしかった。だからわかる! 7大陸最高峰踏破を目指す人、地球最高峰十四座を目指す人、そこに(無酸素、単独など)条件を課して目指す人・・・こういうのはだんだん注目を浴びるので微妙な部分もあるが、やはり人間の求める純粋性だと思う。朝日連峰全山踏破しかりだ。
さて、ここで8の字登山について・・・