朝日連峰 この秋 6 「リセット」

・・・1週間後、と書いたのだった。あれは先週の水曜日のことか。予定通り無事に歩いて、4日後には帰っていたのに、どうして今日まで、何も書けなかったのだろう。
あふれる想いの中で、表現不能になってしまっていた。

何かを言おうとすると、想いが消滅していくような気がする。映像が薄らいでいくような気がする。

でも、熱湯も置いておくと冷たくなるように、時の流れは徐々に、心を静まらせていくのだろうか。

過ぎたことは、思い出という模様になって浮かびあがってくる。
そうなってようやく、語れるようになるのだろうか、模様だから。
今回はなかなか模様にならなくて、今もなお、野遊は、あの世界にいるような気がしてしまう。
目をつむらなくとも、野遊は朝日連峰に身を置いている、不思議な現在進行形状態だ。

涙があふれてしまう。こういうのを、人は感動と言うのだろうが、言葉とはチャチなものだ。

今までしてきたことがかすんでしまう。再び元の世界に戻って、今までの続きを暮らすことが、色あせてみえる。朝日を下山して新幹線で帰京して、次の日、予定通りの仕事をしたが、人間喜悲劇の世界に返り咲くのがうっとうしかった。

すべてがリセットされてしまった気分。

いつか「何で山に登るのか」と聞かれて、野遊
「すべてがリセットされる一瞬! そしてやがて、ジンワリと戻ってくる現実に、新たなる英気を以って立ち向かうことができるからだ」と答えたことがある。
それもただの言葉だ。チャチだ。

野遊は風になって、今、稜線で遊んでいます。ここは竜門山です。三方境です。天狗角力取山です。あれは障子ヶ岳です。