朝日連峰 この秋 15 「聖者たち」

すばらしいお天気になって、陽がさんさんと輝いている。今から障子ヶ岳を往復したい。でも13時を過ぎているから野遊にはムリ。でも障子池の手前までなら行けるだろう。行こうか。と思った。すると山じいのことが思い浮かび、野遊が「早くに天狗に着けたら、障子を登れるかしら」と言ったときの、「ダメ」と言ったしかめ面を思い出す。「では、手前までは?」と聞くと、もっと苦々しい顔をして強く首を横にふった。ムッカァ〜(`^´)なんて顔するんじゃい! しかしクダクダ説教されるよりいいか。

何しろ野遊には7月の負い目もあるし、山じいがダメと言うなら行かないでおこう、粟畑まで行こうかと思ったが、そういうのは未練かも。やめておこう。山じいは野遊の中で、すでに完璧なる「ミナグロ」だった。

水場に下りて行って顔を洗い、歯を磨き、タオルを洗い、ペットボトルに水を満たして小屋に戻った。どなたか山岳会の先客の女性が野遊を見つけてくださって、「志田さんと一緒の方ですか」と聞く。「はい」と答えた。「どうぞ」と言われた。
小屋に入ると、二階に人の気配があったが、階下はだれもいない。出入り口から土間から床も、すべて悲惨に汚れていて、しかもビショビショだ。掃き出し、雑巾で拭いた。水分がなかなか取れない。

トイレも掃除した。なんだか大事な慕わしい小屋、という気がした。

それから階段の下で着替えをした。体も拭いてさっぱり。二階からは笑い声があがり、何やら楽しそうだったが、野遊は見知らぬ集団ってのが苦手なのだ。

今にして思うと、後悔しきりだ。彼らは、夕食の支度をしていたのだったと思う。二階で食事の支度をしているとは想像できなかった。山じいは「賄い班がいるから、手伝いでもして待っていて。みんないい人だ」と言っていたが、これから始めるのかな、まだ時間が早すぎるのだろうと思った。階下で支度をしていれば、野遊も手伝っただろう。二階にいるのは、雑談でもしているのだろうと思った。邪魔したくない気もあった。

そうこうしている間に15時を過ぎ、上の道から、大きな荷を背負った一行がこちらに歩いてくるのが見えた。一度見えなくなって、今度は石畳を降りて来る姿が見えた。お帰りなさいと駆け寄って行ったのだが、どれが山じいなのか、見分けがつかなかった。わたしってヤツは〜(≧∇≦)~~*

これは、登山道を整備してきた彼らが朝日の聖者だったからだろう。同じ色合いに見えて当然だ。彼らは(賄いの方々も)、朝日連峰の前では聖者なのだ。

みなさん、外部者の野遊に親切にしてくださった。ありがとうございましたm(__)m