朝日連峰 この秋 17 「想いひとつを友にして」

10月22日(土)の夕方からの、山岳会の面々が天狗の小屋の2階に集う、「芋煮会」という宴会。その折、竜の小屋の遠藤氏が言った言葉。


「地図は読むものだ」これは、「地形を読め」ということ。自分の行く登山道だけを見ていてはダメということ。それができなければ、朝日はムリだと。

7月、天狗さんが言った言葉。「朝日は、北アルプスを目をつむって歩けるようになってからだ」
極論的表現ではあるが、主旨は遠藤氏と同じだろう。

今回、楽日に山じいが野遊に言った言葉。
「これからは、ひとりで朝日に来るな」
なんでなんでと聞くと、「北アルプスならいい。人通りがあるから」と。

これらの方々は、朝日だけを歩いているわけではない。日本の山しか知らないのでもない。その彼らが、異口同音に朝日はそういう山だと言う。

野遊は天気図もとれるし、地図と磁石を使いこなせると思っていた。けれど遠藤氏の言う「地図を読む」とは、おそらく雲泥の差があるのだろう。野遊はうすっぺらな勘と、体験を駆使して、ドキドキしながら山を歩く。よくも今日まで、単独山行をしてきたものだと思う。7月、朝日でつまづいたが、上手に成功した登山でも、実はあそこ、ここ、に、つまづきが散りばめられている。それが何かのきっかけで運悪く重なって表面化すれば、事故につながる。
もろく崩れそうな状態で、山を歩いてはならないのだ。


遠藤氏は、還暦をとうに過ぎた年齢ながら、再度チョゴリに挑戦するそうだ。それは「想い」が勝るからだろう。想いとはなんだろう、いかほどのエネルギーを捻出するものなのだろうか。野遊は、「想いを友にして」立ちあがる遠藤氏を応援したい。

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今ここに、野遊のストックがある。山じいの車に置き忘れてしまったストックだ。郵送されてきたとき、山じいが触ったストックなんだなあと思った。ストックを両手で握り締め、額を当ててじっとしていると、なんだか山じいにしがみついているような気がする。こんなに日が経ったのに、また涙があふれてくる。

山じいが野遊に提供してくださった1日は、野遊にとってどれほどの価値深き1日だったか計り知れない。



・・・けれど・・・



同じ豆のコーヒーでも、クリームとお砂糖を入れたコーヒーと、ストレートとでは、違う飲み物になる。ストレートの香りと味を知ってしまった者は、またそれを味わいたくなる。
同じ登山道でも、団体で登る楽しさ、数人で登る楽しさ、それぞれあるが、単独の味を知ってしまった者は、一種独特の魅力を忘れることができない。ストレスも恐怖感もあるが、自分で計画して自分で歩く醍醐味は、ほかの方法では得られない。
野遊の今回の登山は、このコーヒー豆を喫したい、という想いあまって、どうでも喫したく、クリームもお砂糖もドッチャリ入れて飲んだようなものだ。(ミミ尾根でもあるまいに)(ミミ尾根ならともかく)(ミミ尾根です!!!)


朝日連峰の聖者方になんと言われようとも、野遊、これからも朝日連峰に行きたい。
障子ヶ岳に会いに行きたい。障子に、「自力でよく来たね」と言ってもらいたい。
想いひとつを友にして。