裏剱(22)「高熱隧道」

この仙人湯小屋に登山者が立ち寄りやすいように、新しい登山道が造られて間もないそうで、以前は、もっと近い便利な登山道があったそうだ。北アの営業風景とでも言おうか。(と、これは山慣れガイドの言葉だ。山小屋側としてはあれこれ理由を述べてはいるようだが)
まわり道となるこの新しい道は、多くの人々に踏まれていない柔らかさがあった。
阿曽原峠への道は、けれども優しいばかりではない。次第に険しくなっていき、たちまち渋滞しては間隔が開き、列の後の人たちは、例によってランダムなピッチを強いられた。

黒四ダムの送電線がはるか下方に見えてくると、クドキ坂、雲切新道の急降下道となり、梯子の連続だ。真ん中にいる添乗員Hさんが、前の人が踊り場に立つまで待っているようにと指示するので、そのようにすると、ますます列が長くなっていった。
このあと仙人ダムに出て、下の廊下につながっていく。

関西電力(旧日電)の施設内に入って歩いていくと、熱気や硫黄臭に包まれて、ここを歩く人は必ず「高熱隧道」という言葉に思いを馳せることだろう。

やがて本日のお宿、阿曽原小屋が見えてくる。
現地の人は「あそはら」ではなく「あぞはら」と呼ぶそうだ。
1940年、仙人ダム建設の折、ここに建設された鉄筋コンクリートの作業員宿舎が、決して起きないと調査されていた雪崩の直撃を受けて吹き飛ばされた。世にも恐ろしい「泡雪崩」である。自然環境の厳しい阿曽原温泉小屋は、その跡地に建てられた冬期解体小屋だ。14:00a