北アのゲートキーパー焼岳 2 焼岳への印象

野遊の第1期登山時代は10代後半から20代前半までの、山岳部に所属していたころの数年間だが、そのころ焼岳は頂上周辺1㎞以内に近づいてはならない活火山とされていた。つまり登れない山という感想を野遊は持っていた。そこまでしてただの溶岩の山に近づいたところでつまらないと思っていた。それに、そのすぐ向こうには、北アの名だたる名山がひしめいているのだ。そちらの方に目が行ってしまう。

年号が平成になってから、焼岳の北方の登山が解禁となり、たくさんの登山者が登るようになったが、野遊は劇団てんびん座の活動真っ最中、夏季の登山シーズンに1回登山できればいいほうで、そのような少ない大事な時を焼岳に当てる気はなかったのだ。

ゴスケが二日以内で行けるなら松本城見学がてら登山してもいいけどぉのようなあまり乗り気でない感じだし、それに見合う登山は1日で登って降りる、それなら上高地の最も手前にある焼岳がちょうどいいではないかということになったのだ。

こんなノリなのに、「うれしいはずれ」とはこのことだ。
焼岳がどんなに素晴らしい山だったかを、これから語るからね。
今思い出しても胸が熱くなるほどよ。