ヒマラヤ山行(14)現地の生き物 ゾッキョの話Ⅱ「刹那糞街道」

ゾッキョとはしょっちゅうすれ違ったので、たくさんいるように見えるが、ひとりでに繁殖はしない。いちいち掛け合わせて生まれるのだ。力があって従順ならそれでいい。ほかに何も望まれていない。どの子も名前もつけてもらっていないようだ。

荷運びをするとき、ゾッキョが苦しくないように、などという配慮も為されていないようだ。ゾッキョの角と首には太いロープが巻かれ、それが荷を結んで胴体や、シッポにまわされて固定されている。こうすれば荷は安定するのだろう。これで多分ゾッキョの自由は奪われて暴れない。とかの理由もあるのかもしれない。

重い荷を背負い、首とシッポが背中のほうに強く引っ張られた態勢で長い街道を何時間も歩くのだから、ゾッキョには塗炭の苦しみではないだろうか。人間が役に立てているなら虐待と言わないのだろうが、ゾッキョにとってはそんな事情は関係ないから虐待を受けているのと変わらない。虐だとも!

ゾッキョの糞は丸くない。肛門が平べったくなっているのか、のされた蛇腹のように、独特の模様で折り重なりながら盛りあがっているが、これは、シッポを縛りあげられて肛門が締めつけられているからではないだろうか。あるいはゾッキョはその縛りあげの歴史から、そういう形の肛門になってしまった動物なのかもしれない。

目を充血させ、口から泡を吹いているゾッキョもいた。とてもイヤそうにノロノロ歩く。すれ違うときに待っていても、止まったまま動かないゾッキョもいた。すると付添人が声で脅したり鞭で打つのだ。歩かなければならない。ゾッキョの繰り出す細い足に生気が感じられない。そして縛りあげられたシッポから平べったい糞をボトボト出す。排泄だけは、どんなに行儀悪くても怒られない。刹那糞っていうけれど…まさに拷問を受けている姿だ。

ゾッキョはあまり思考能力がないようで、人間が触れると反射的に角を振って攻撃することもあるそうだ。だからゾッキョとすれ違うときは、触れる位置にいてはならないのだ。

ゴーキョのロッジでは、野遊の部屋(二階)の窓の下にゾッキョが二頭いた。これがほとんど動かない。朝になっても同じ位置にいた。雪が降っても、その四本の足を埋めたままで立っているのかと思うほどだ。

けれどもその位置は建物に近かったからか、もう少し向こうに行きたまえと、我々ツアーのコックさんがゾッキョに石を投げた。言葉はない。触れもしない。石を投げた。ゾッキョは石に当たりながら、その意味を理解しないまま、痛いから、ゆっくりと向きを変えて少しだけ向こうに移動した。ゾッキョと人間の、そういう関係なのだ・・・必要で改造し、こんなに役立てているのに、こういう関係を人間が望み、かわいがったとしても通じない程度の能力しか持たない動物に仕立てあげたのかもしれない。

山道で、大きなカモシカに出会った。じっとこちらを向いていたけれど雪に包まれてシルエットしかわからなかった。大きな大きなカモシカ。あのカモシカは自由だ。

ロッジで夜、歯を磨きに外に出たら、白ネズミがいた。「近寄らないで、噛まれたら危険」と、サーダーが野遊に注意してくれた。白ネズミは敏捷に走ってたちまち姿を消した。小さな小さなネズミ。あのネズミは自由だ。

《ゾッキョらは 悲しからずや山の青 雪の白にも染まずしかも漂えず》