ヒマラヤ山行(40)番外編 ネパールを思うⅢ「シェルパも出稼ぎに」

野遊がヒマラヤトレッキングでお世話になったポーターやキッチンボーイたちも、やがてそれだけでは暮らしていけずに、出稼ぎに行くことになる人が出るだろう。

現に野遊たちをサポートしてくれたシェルパの一人が、この仕事の後、マレーシアに出稼ぎに行くそうで、以下の発言をした。

”I'm going to Malaysia. of course its hard times.(←これは野遊が ”I hear… a migrant worker is hard labor.Ⅰ'm w、w、worry about you, b…broken the health”と、もう心配で冷や汗かきながら言ったことに対して)」
” I have old mom, dad and one big brother and other small sister and brother. I have to earn money for my family and for me too.”
それで、電気も時々消えるんですって。時には数日とか。(あんまり関係ないか)

ネパール語だけではシェルパ業の位置も低い。英語も話せればもう少し範囲が広まるが、なかなか安定収入にはつながらないようだ。このシェルパは英語も話せたが、それでも安心できる収入は得られないので、家族のために出稼ぎに行くのだ。

日本語も話せると、ガイドとして高収入が得られるとか。 サーダーへの道も開けるだろう。これは断然、まず英語、次に日本語をしゃべれるシェルパが有利だそうだ。(カトマンドゥ市街で仕事をするには、英語と中国語が有利だそうだ)

ネパールには多くの観光会社もあるが、そのスタッフたちの中からも出稼ぎに行く人が出るようで、ましてや個人でポーターやガイドの流しをしたり、どこかのサーダーから声がかかるのを待っているだけだったら、生活は立ち行かないのだろう。

せっかくの丈夫な心肺を、他国の労働に使うのね… 
何年もマレーシアとかにいたら、帰国してシェルパ業につても、高山病になるかもね…

ああ、あんなに忍耐強く勤勉に働いてくれた彼らが、別に興味もないただの労働を、毎日繰り返して何年も暮らすのねお金のためだけに。
ああ、トレッキングだって彼らにとってはおもしろくも何ともない労働なのではないかしら、同じことだわ(ー_ー)!!ああ、もう自分何を言いたいのかわからないんだわ。

でも少なくとも、ヒマラヤにおけるシェルパ業は、彼らにしかできないのだ。