ヒマラヤ山行(41)番外編 ネパールを思うⅣ「ネパリの世界観って」

登山やトレッキングの手伝いをしたり、旅行者の世話をして過ごすシェルパ業。
高峰を攀じる登山者につくシェルパ、トレッキングロードを誘導するシェルパ、ネパール市街を案内するシェルパもいる。彼らを総じてシェルパと呼んでいるが、シェルパ族としてはおもしろくないようだ。

シェルパ(東の人という意)が最初に登山隊に重宝されたのは、エヴェレストが東方にあるからだろう。強靭さに於いてはシェルパ族もグルン族もチェトリ族もマニ族もライ族もetc.差はない。チベットからヒマラヤを越え、はるか高所に住みついた民族だ。

植村直己さんが「シェルパは、自分が山を登りたいわけでもないのに、他国の登山者の遊びの手伝いを命懸けでやって、かわいそうだ」というような内容の発言をしたことがあり、それについて「彼の人柄がしのばれる」という感想もあるが、それは植村直己の発言だからだろう。野遊が言ったら「甘い」と否定される。
山野井泰史さんにも「僕らは大金はたいて遊ぶ(登山)。あのポーターは1日700円だ。わかってはいても、それを思うとやはり・・・」という発言があった。わかってはいるけどやはり、なのだ。

シェルパが登山者を部屋に寝かせて自分は床で寝るのも、登山者よりも朝早く起きて準備をするのも、それは当たり前の仕事です」
「日本でも、例えばホテルや旅館の方々は、お客様に精一杯サービスや接待をしていますし、タクシーの運転手でもお客の機嫌を損ねないように尽くしています。山岳ガイドもお客の為に自分の技術を駆使しています。我々はそれらの方々のお蔭で旅を楽しみ、山を楽しんでいられるのではないでしょうか」という言葉を聞いたが(文だったのでそのままコピー)人々はそう思い切るのだろう。
・・・わかってるのよ(ーー;)

居丈高に彼らを扱う登山者は情けない。日本人は概して友好的だ。居丈高でも友好的でもこれもまた、行き過ぎると思わぬ方向に歪んでいく。具体的に書いていたら切りがない。やはり同じ人間でも、ジャンルの差というものがあるのか。

ヒマラヤの懐に抱かれて暮らしてきた多種類の民族は、他国の登山者、トレッカーたちが訪れるようになってから、俄然暮らしぶりが変わっていった。観光地からほど遠い村落も、若者はルクラに出て行って流しのシェルパをやったり、観光会社に所属したり、今も電気のない村落など多くあるようだが、飛行機が飛ぶようになって流通物も根底から進歩しただろう。そしてこれもまた同時進行で「崩れゆくヒマラヤ」なのだ。

人々は進歩したか。進化したかもしれない。身に浴びるものが違ってくるのだから。けれど進歩と進化とは別物だ。先に進化だけ遂げてしまうのは悲しいことなのだ。野遊がネパリの目を、「物憂そうな」と感じたのは「悲しい目」だったからかもしれない。

いくらシェルパ業で収入を得ても永続的な収入ではない。貧しさを補正するには、すぐに使い果たしてしまう金額だろう。それはさらに大金を稼いでも同じことだ。目先の豊かさを求めて山麓からカトマンドゥに出て行って暮らせば、便利だし誘惑も多くて浪費して、やがてまた貧するだろう。アルコール中毒に陥り身を持ち崩す人の話はよく聞く。
(トレッカーの報告文などにも、時々こういう話題が載っている。「以前、大変役に立ってくれたAシェルパ君に、またガイドを依頼したくて探したが、今はカトマンドゥにいるそうで、しかもアル中だそうで〜」とか)

それでも忍耐強くエヴェレスト登頂という偉業を何度か繰り返せば、一代で財産を築けるほどの大金を得るが、そうなるとカトマンドゥを離れて渡米とかして、邸宅に住んで豊かな暮らしを営み、子供に教育を授ける層もあるが、せいぜいそのくらいまでが、彼らの中で「出世」したネパリってことだろう。つまりせいぜいそこまでなのだ。自分まわりの生活を豊かにすること以外には熱意を燃やさない。
この国をいかにしたらより良い国にできるか、そのためにはどう貢献できるかと、考えている人はごく稀。結局ネパール人の多くはネパールを想っていない。大金を得ても自国の発展進歩のために何か行動しようと思う人は少ない。

もちろんすべてのネパール人がというわけではないが、概してとかその傾向にあるとか言うよりもっとシビアに「彼らには世界観がない」と思う。

それは歴史がそういう民族を作っていったのかもしれない。