ヒマラヤ山行(49)番外編 スニーカーボーイⅣ「過ぎゆく」

遠い声のスニーカーボーイ、彼はロッジでは、我々が分厚い靴下を履いて寒がっているのに、なんと素足にゴム草履だ。午後の高所順応トレッキングでも、そのゴム草履だったことがある。雪と岩の登り道なのに。

夜はどうやって眠るのだろう。あの個人装備のサイズで、シュラフを持っているとは思えない。手や足が冷たいまま眠るのだろうか。彼がアイスバーンで手を差し出してくれたとき、その手は冷たかっただろうか・・・覚えていない。バカ、野遊のバカバカ、覚えていないなんて覚えていないなんて、どうしてどうして覚えていないのだろう! ・・・あ、野遊、手袋してたんだったわ(^_^;)

3月31日トレッキング楽日、彼は小さくながら4回滑った。靴底はすっかりスクラッチ状態だったことだろう。白いスニーカーは土埃で茶色になっていた。けれど靴自体を汚してはいなかった。グレイト!
彼はゴーキョに向かうヒマラヤ街道をスニーカーで歩き切ったのだ。グレイト!
彼がスニーカーを履いていなかったなら、野遊はこんなに印象に残すことはなかったのではないかと思う。
ルクラに着いたとき、もうこのスニーカーボーイの後ろを歩くことはないのだと思ったら、悲しくなって、空を見ながら泣けてしまった。
野遊がこの山旅で、アニマル以外の生き物に心惹かれたのが、この現地民だった。

ルクラを発つ朝、もうポーターがたは昨日、働きに応じたルピーを受け取って解散したが、コック長とキッチンボーイとサーダーは残っていた。サーダーはカトマンズ在住なので一緒だが、ほかの4人はわたしたちがルクラを発つのを送るために残ってくれているのだ。

ポーターがいないので各自ダッフルバックを集積場所まで持って行かねばならない。部屋のドアーを開け、バックを両手でズルズル引きずり出していたら、だれかが影のように近寄って、12キロほどのバックがスイと持ちあがった。ハッと顔をあげるとスニーカーボーイだった。

野遊はこのとき初めて知った。2週間前、ルクラに着いた日、ダッフルバックのバックルを締められずモタモタしていた野遊のそばに来て、風のようにサッと締めてくれた人が誰だったか。【ヒマラヤ山行(6)】

そんなことを思い出しながら、ひと階段、両方からバックを持ち合ってモタモタ降りたが、はかどらないからか、彼は例の遠い声で「オケィ、オケィ」と言い、野遊が手を放すと、軽々とバックを持ちあげて階段を降りて行った。そしてこれがスニーカーボーイとのお別れとなった。

             *次回はヒマラヤ山行最終章「ごめんねゾッキョ」*