Sureshの夏 2 日本に来る?
シュレスのお姉さんは出稼ぎを続けていたが病を得て、帰国してからなくなってしまったそうだ。それが昨年のこと。シュレスは今度は自分がシンガポールに出稼ぎに行くことになった。下には弟と妹がいて、彼らの学校の費用も賄わなくてはならないとか。ネパールは子供が成人すると、弟妹は長女や長兄が面倒をみる場合が多い。シュレスの両親は健在で果物を作っているが、一定収入以外は今後も変化はない。(なんでかしらというのは知りません)。シュレスの出稼ぎは6年間だという。
それはすぐに返しきれないような多額の斡旋料を取られ、まるで何年も身売りのように劣悪な環境で働き、謎の変死も多く病死も多い。(前回の『ヒマラヤ山行・番外編』と重複するので省く)
シュレスは19歳だ。わたしたちだったら、青春のそんな大事な時を、6年間も、ほとんど監禁状態で出稼ぎ生活に身を投じる気になれないだろう。けれどシュレスは、月に3〜4万ルピーは手取り金として残せるはずだと言う。彼にはそれは大きなお金だろう。
今は雨季で、トレッキングの仕事はなく、他にバイトでも、と思っても、ネパールはとにかく「仕事がない」。
それなら、無収入の夏の間だけ、日本に来る?生活費がかからなくて済むし、日本語を学べば、日本語専門シェルパとして、もっといい収入を得られるのではないですか?
シュレスは承知してくれた。
そこで日ネ親交協会の会長さんや、カトマンドゥ空港に勤めるL氏の篤い温かい協力をいただきながら、シュレスの観光ビザを手配する段階に入った。
と書くとスムーズなのだが、この一つ一つに、かなりの手間がかかり、日はどんどん過ぎていった。