シュレスの夏 15 仕事がしたいと言う

ryo-rya2014-11-16

シュレスが野遊に訴えた。家事ではなくて、何かバイトを紹介してほしいと。ここで普通に暮らす意義をシュレスは知らない。収入につながらなくては意味がないと思っているのだった。

日本に来るとき、書類にサインしたはずなのに、読まなかったのかな。もし観光に来た外国人がそこで仕事をしてお金を得たら法律に触れるのにね。招聘した野遊たちが罪を犯したことになる。「impossible」とはっきり応答しても彼は、そんなことなんとかなるんじゃないのと言いたげだ。

押してくるし、きっぱり断ると、納得のいかない表情をするし、日ネ親交会の会長氏に電話して相談したら、会長氏は、一度シュレスに会って話をしようと言ってくださった。何度もシュレスに、いつ会うのかとせっつかれながら、ようやく時間が取れて、会長氏に会いにシュレスを連れて横浜に出かけていく日が来た。

高島屋前で待ち合わせ、駅の近くのホテルシェンロンでお茶しながら話し合った。会長氏はシュレスにネパール語で、収入になることは一切してはならない、もしそのようなことをしたら、野遊が警察につかまってしまうという内容のことを話した。

そして、6年後に控えている東京オリンピックで、たくさんの建設業務があり、その折ネパール人も募集がかかるから、それまでにある程度日本語が喋れるようになっていたら、声をかけてあげようと約束してくださった。3年後くらいから徐々に開始されるそうで、就労前に多少の業務訓練があるそうだ。

一応納得したシュレスは、それでも不満そうだった。理由は二つあり、ひとつは「3年も待てない。すぐにもマレーシアに行って収入を得たい」という思いと、「日本語は、やってみたら難しい。手が出ない」ということだそうだ。シュレスは何度も「Japaneses is difficult」と言った。すっかり腰が引けている。

野遊は、いったいなんだってシュレスのために、時間を割いて横浜まで出かけたのか、それも台風が来ていて、恐ろしく木々が騒いでいるこんな夕暮れに。と思った。シュレスはそのことを何とも思わないのかしらと。

けれど東京から、このことのためだけに出てきてくださった会長氏の温情を思うと、野遊の不満は消えていった。会長氏はまことに善意の御仁だった。会長氏はお坊様なのだ。

いつぞや同じこのホテルに野遊を呼び出した鈴鹿の龍光寺というお寺の隠居の衣斐謙譲という70歳をとうに越した坊主は、見かけは頭を剃っていながら、実はナマグサ坊主甚だしく、その心情は卑しく浅ましく恥知らずで、最初は坊さんなので何となく信じていた野遊にしつこくしつこく言い寄り、ついに坊主という名を軽蔑するに至った野遊だったが、この日ネ親交会の会長氏の、自然体からにじんでくるような自愛のオーラに、この落差は何だろう、人間って何だろうと思えてくるのだった。