ヒマラヤ春のソロトレック2015 3 小雨の入山

揺れが静まり、時が流れた。やがて少しずつ、景色が動き出した。それは輪を解いて周囲を見まわす人々や、ダメ押し的にパラパラと降る土砂などだった。

ふり仰ぐと行く手の山が、ショベルカーでザックリ切り取られたように削れ落ちている。岩や木が引きちぎれて危うい状態でぶらさがり、ブチブチに切れながら細い無数の木の根が毛細血管みたいに張り渡っている。山の中身ってこういうふうになっているのかと思った。この木の根が山の全壊を防いだのだ。

叫び声にふり返ると、来し方の道が土色の煙を立てていた。地震のあとも、こうして道が崩れていく。土煙が治まっていくに従って、その向こうにトレッカーが固まっている姿が見えてきた。

野遊は足元に積もった岩々を乗り越えて、歩き始めた。おかみさんが金切声をあげた。ネパール語だろうか。でも彼女の心の言葉は伝わってきた。「まだ動くな!」という内容のことを言っているとわかった。野遊はそれからしばらく待った。

やがてそろそろ人々が動き出したのに交じって、野遊もトレッキングを再開した。崩れた山も乗り越した。すれ違うトレッカーが多く感じられたが、これはトレッキングを中止して、戻る人たちが混じったのだろう。チェックポストを通過したがアーミーは逃げてしまってだれもいない。

モンジョから橋を渡って山道に入っていくと、大きなザックが二個、道の中央に転がっていた。傘が逆さになったまま放り出されてある。ああトレッカーのザックだ。この人たちはどうしたのだろう。怪我でもして運ばれたのか。せめてザックを道端に寄せるとか、パスポートだけでも探し出して保護したかったが、他人様の荷物の中をいじるのが恐ろしく、ずいぶん逡巡したが、現地の人にお任せしようと、手を合わせて行き過ぎた。

地震の前に降っていた小雨が思い出したようにまた降り出して、それはとても冷たく、ナムチェ坂で奮闘する野遊を苦しめた。昨日パクティンに到着したときも小雨だった。
この時期に雨が続くなどと、そもそもおかしい。4月中旬〜5月中旬は「温暖、乾季」の両面で安定しているはずだ。10月もそうだけれど、初旬は雨が残ることがある。11月は安定していても雪が降りやすくて寒い。3月もまだ寒いし。それでお花も狙って今回はこの時期を選んだのに、いつになく雨空が続き、どうしたことかと思っていたら、ネパール80数年ぶりと言われる大地震に襲われたのだった。