焼石岳 16 10人の宴

経塚山の頂上は強風だった。石にしがみついても引き剥がされそうだ。以東岳から狐穴に向かう道で、こういう強風にあおられたことを思い出す。真夏で暑かったのに、強風は一気に体温を奪い、ヤッケは着ていたが下半身が冷えて、ひと吹きごとに気が遠くなるようだった。防寒具は持っていても、ザックを下ろしたら吹き飛ばされてしまう。何度も岩にたたきつけられた。けれど竜門の小屋の番人さんは「そのくらいの風はすごいうちに入らない」と言った。東北の山の風は半端ない。

経塚山からの下山は一塊になって降りて行った。わずかに下っただけで、もう風は届いてこなかった。それからはひたすら戻った。今度はリーダーが先頭で、容赦なく歩いていた。二番手の野遊は間を開けずについて行くのに必死。明るいうちに小屋に着きたいとリーダーは思っている。

水水しい道を通り過ぎると、金明水小屋が現れた。その20分ほど手前あたりから、リーダーはスイと野遊を引き離して先に行ってしまった。野遊の後ろについているちーちゃんが見えなくなるほど、野遊もリーダーを追ったが追いつけず、一人で歩いた箇所がある。16時15分着。ああよかった。その後、夕陽は赤く照りながらぐんぐん落ちていった。

リーダーの行動、示唆はものすごくわかりやすい。野遊はいちいち感銘を受ける。

金明水小屋は、二階へはしっかりした階段があり、山小屋というよりおうちみたいで居心地がいい。行動着を着替えて、夕食の準備にかかる。小屋には新たな仲間が増えていた。リーダー、写真家さん、茨城さん、ちーちゃん、野遊の5人隊と、先ほど一緒に経塚山に行った先着さんと、魔の急登を歩いてきたという若いご夫妻と、前回ひめかゆのバンガローで一緒だった越後屋さん。それともう1名、どなたか。全部で10名の宿泊となった。みんなで一緒に夕食しましょうということになった。

ご夫婦二人組以外は、もしかしたら今日の我々の宿泊を知って、食料などを担いで登ってきた人たちかもしれない。皆さんいろいろなものをザックから出してきた。冷蔵箱に入れられたお刺身も何種類か供された。

ビールとお酒の量がすごい。茨木さんはこれらを(二日分)担いで歩いていたのだ。
リーダーがご馳走をいっぱい作って、山小屋というより民宿にでも泊まっているようだ。4人の女性と6人もの男性のお腹を満たすには、相当の量を作らなければならないのだが、リーダーはいつもの自然体で、次から次へとお料理を作る。もうちーちゃんや野遊の手伝う隙もない。リーダーは作業しながら、コップ酒をチビリチビリとやっている。堂に入っていますね〜

宴会は薄暗いうちから始まっていつまでも和やかに続いた。

途中で外の石廊下に出たら、手すりに寄りかかって、ほろ酔いの越後屋さんが景色を眺めていた。「ライトを消して!」と彼は言い、真っ暗に。風が眼前の黒い山に吹いて、「どう感じますか?」と聞かれて、何か良い言葉を言いたかったが、「怖いです」と答えた。「そうですそれでいいんです、怖いです」と越後屋さん。

そして、暗い所に立っている野遊を見て、「あなたはライトを持ってこなかったんですか!?」と。あ、あのね〜・・・^^;

越後屋さんは片手をあげて「ザザザァ〜…ザザァ〜」と、風を演じだした。「これがね、これが焼石岳の風です」と、愛おしそうに言い、「わかりますか?」と聞く。越後屋さんは風になって、しきりと焼石岳にラブ・コールを繰り返していた。夜気は少し肌寒かった。