野遊・東日本大震災5 「伊勢神宮参り」

日本人はほとんどが、今は気持が沈んでいる。被災地を思ってただ泣いていても仕方ない、立ち直ろうと思うのだが、家族や友達をなくされた方々の心を思うと、また泣けてしまう。

日本は目を見張る速度で復興すると思うが、なくなった人々は戻ってこないのだ。何と気の遠くなるようなたくさんの人数、その人数のまわりのたくさんの遺族がた・・・取り返しのつかないこと・・・また泣けてしまう。

野遊は春の旅行をキャンセルした。伊勢から熊野古道を計画していたのだが、災害以来、もうすっかり「何かをする気力」が萎えてしまったのでもあった。

ところが、共に行く予定だった友人が「行こうよ、野遊が行かないなら自分ひとりでも行くからね」と言った。彼女の話によると、数泊予定のうちの、あるホテルから、キャンセルの電話をしたとき、結構粘られて、こちらも勝手に取り消す非も感じ、そのホテル1泊だけの旅行を組もうと思う、と。

それに彼女は、このたび伊勢神宮にお参りしたい気分が充満していて、どうしても「お伊勢参り」をしたいのだと。そうか、では行こう。留守にすればその間節電にもなるかな。車予定だったがガソリンがないので新幹線で行った。

3月28日、朝出て昼前に伊勢に着いた。駅前のうどん屋さんで「伊勢うどん」を食べてから、伊勢神宮を外宮、内宮と、徒歩でゆっくりめぐった。

お伊勢さまに「被災者がたを救ってください」「日本を守ってください」と祈った。ほかにも願い事がいっぱいあるのに、手を合わせるとそれしか出てこなかった。

宿泊したホテル。な、何と、大きなホテルなのに、宿泊客はわたしたち2名だけだったのだ。軒並みキャンセルだとか。ロビーの売店は閉まり、いくつかあるお風呂はひとつだけ開いていて、ほかは閉まっていた。

旅行をやめたんだ、みんな。
・・・日本人って・・・(ー_ー)・・・優しい・・・
また涙があふれそう。だめだよね〜心がもろくなっている。

でも、ハッとしたのは、ホテルの人の話だ。「あれ以来キャンセル続きで、このままではつぶれてしまいます。自粛、自粛は日本中を苦しめます。でも被災者がたを思うと、そんなこと言ってられませんが」と。

夕食に久々ご飯を食べた。我が家では2月に購入したお米がなくなり、さりとて長蛇の列に並んで購入するのも気が進まず、ちょっと貧困生活だったのだ。「わあ、お米だぁ」なんて歴史の中の戦争時代みたいな。
夜も暖房が入り、もったいないほどだったが、ありがたく、次の日はとっとと帰り、つましい旅行を終えた。

今、ホテルの人の言葉を思い出している。日本中が大変なのだなあ。被災者がたが苦しんでいるのだ、豪遊は控えずにいられないのは当然の気持だと思うが、西や南のホテルまで、あえいでしまっては動きが取れなくなる、という現実を見た気がする。

できる範囲で元気になろう。ずっと心を寄せていくには、共に沈んでいてはだめだ。お祭りもコンサートも行なおう。
今後の協力として、東北の物品、出回ってきたら購入しようとも。

それから、今は「東北がんばれ」って言うのを控えようとも思う。親や子どもをなくした人に、がんばれはやっぱりきつすぎる。ほかに何かいい表現はないものか。