大黒屋光大夫を辿る旅 9 再会

夕食会は、イルクーツク市の副市長と、16年前友好を交わしあったゴボリン氏だ。ゴボリン氏は当時のイルクーツク市長で、当時の鈴鹿市長だったこの旅の団長と再会した。

初めての表敬訪問では、両市長、光太夫を通して話が弾み、やがてそれぞれの市の経済などについて話が盛りあがり、今後の密なる交友を約束して別れたのだった。

けれどその直後の1991年、ソ連は崩壊してロシアとなった。やがて鈴鹿市長も変わり情勢が一変した。鈴鹿市からロシアへの働きかけは全くなく、16年の月日の流れるままになっていたのだった。

それが今年、ロシアから訪露のお誘いがあり、野遊としては、これは鈴鹿市が受けて立つことではないかと思うのだが、そこらへんの事情はわからない。今は一般市民である元市長が団長となって出かけることとなったのだ。

野遊はすでに参加者も決まったあと、団長から執筆の声かけを受けて、諸事情もあって同行することになった次第。

ゴボリン氏は病を押して出席したという。なので食事前に退座したが、団長はじめわたしたちに、長い挨拶の言葉を向けてくださった。これがささやくような話し方で野遊には聞こえなかった。聞こえてもロシア語なのでわからないけどね^_^;

通訳嬢がいるにはいるが、彼女の声がさらに聞こえない。彼女は市役所の職員で、かろうじて日本語がしゃべれるらしく、それでこの日の通訳に選ばれたようなのだが、ほぼ「役に立っていない」。

でも、私たちが日本を立つ前の期間、何十回となくメールをやり取りして副市長やゴボリン氏の列席に尽力した彼女の労力を団長は高く評価して、聞こえない上にドヘタな通訳、とも言いがたい通訳を受け入れていた。ゴボリン氏が3分話したあとの日本語通訳が、20秒で終わるはずがないのにね。

添乗員のKさんはロシア語がまことに上手で、しかもはっきりとした声なので、Kさんに代わってもらえばいいのにと野遊は思った。仕事ができなきゃしょうがないのに、団長は人情に於いて甘くなっている。ろくに意味も解していないのに、歩み寄ってざっと主旨を自分で勝手に理解して、わかったみたいに振舞う姿は、日本人の人のよさかな・・・

団長の声しか聞こえなかったので。これで執筆をと言われても困る。

この部分は団長がお書きなさいよ。