大黒屋光大夫を辿る旅 10 友好関係
この旅、訪露の声かけを受けたので出発したとのことだが、団長は(日本側は)この会食の席を用意し、ロシアンを招待した形だ。
団長は(日本側は)、元市長と現副市長と、わけのわからない通訳嬢までに、贈り物を進呈した。たとえば副市長には本場鳥羽真珠とか。
そしてロシアンの握手を両手で受け、何度も「ありがとう、うれしい、ありがとうありがとう」と。
それはごく自然体で、まろやかな所作ではあったが、どうも野遊には同等の関係には見えなかったのだ。
仲良くするのはいいことなので、いいことなので・・・野遊にはわからない・・・なんで・・・こんなに・・・
団長は元、鈴鹿市長であった時期があり、その折、大黒屋光太夫を通してイルクーツク市と交流を持ち、そして市長が変わり、このことは凍結していたので、おのれのし残した仕事として、これからイルクーツク市と友好都市関係を結びたいとの思いがあるのだろうか。
人間、なかなか業から抜け出せないということだろうか。
ちなみに前回の交流は、この団長が鈴鹿市長だっ16年前のことで、そのあとゴボリン市長、経済顧問タラソフ氏らが、ご夫婦で訪鈴したとのこと。そして藤の木の記念植樹をしたそうだ。きっと鈴鹿市は彼らの宿泊するホテルを用意し、お食事も全部面倒みたのだろう。お土産も差しあげただろう。しかしこちらが先さまに行く場合は、すべて自分もちで、お食事に先様を招き、しかもお土産持参。
そうして友好都市関係を結んだとして、何か意味があるのかなあ、今後の交流もかくの如しなんだろうし。と、野遊は思った。
野遊にはよくわからないことながら、鈴鹿市は今、特にこの事業に乗り気ではないような気がする。でも団長が手配してスムーズにことが進めば、あるいは一市民(団長)の力を発端として、鈴鹿市はイルクーツク市と友好都市になる可能性があるだろう。
こんなに一生懸命なんだから、団長の願いが届いてうまくいけばいいなと、心に矛盾を抱えながらも、野遊も密かに願ってはいる。