はるかなる連弾

恩師村田邦夫先生 15 「常軌を逸してハチに問う」 終章

白い道を行く。先を歩く人の影を追う。影は振り返り、「戻りなさい」と言う。ひとこと半句も反論できない、重い静かな余韻が響く。「はい」それしか言えない。けれど気がつくと、遠い遠い夢の彼方で、野遊はまだその道を歩いているのだ。先を行くその人は、…

恩師村田邦夫先生 14 はるかなる連弾「さようなら鈴鹿」 

『はるかなる連弾』〜恩師村田邦夫の旋律を辿って〜 の出版以降、野遊は、ハチと野遊の連弾はエンドレスなのだと知った。どこまでも続く道を、どこまでも歩いていくのだ。前方にハチの後ろ姿を見つめながら。鈴鹿との関わりができたのがハチの軌跡を辿ったこ…

恩師村田邦夫先生 13 はるかなる連弾「河曲の無人駅へ再び」

そこに立つと、まるでお決まりの儀式のように、野遊の胸には感慨が込みあがってくるのだ。野遊には、ハチが、遠く伊吹の方を眺めあげる姿、ひつち田を眺めおろす姿、ベンチにぽつんと座っている姿が浮かぶ。そのたびに何回も何回も、野遊はそこにいたかった…

恩師村田邦夫先生 12 はるかなる連弾「佐々木信綱墓所」

K氏はわたしたちに案内するところを計画していたようで、大木神社のあと信綱の墓所に連れて行って下さった。昭和25年の信綱鈴鹿訪問は、大木神社をめぐって佐々木家のお墓にお参りしている。その通りの経路を、K氏はたどってくださった。当時の写真は、…

恩師村田邦夫先生 11 はるかなる連弾「大木神社」

K氏はRさんと野遊に、昭和25年信綱訪鈴の写真を、葉書大の焼き増しをしてプレゼントしてくださった。その数枚の中に、当時秘書として付き添った村田先生の姿もあったのだ! これも、野遊は(実は)持っているものではあったが、K氏の思いやりを大変あり…

恩師村田邦夫先生 10 はるかなる連弾「佐佐木信綱記念館」

K氏にRさんを紹介して、青い車に乗り、佐佐木信綱記念館に行く。もう何度ここに来たことだろう。最近では昨年2010年11月、佐佐木信綱の故郷を訪ねるテーマの講演に、K氏と打ち合わせて訪問している。記念館の学芸員さんは、今回も丁寧に展示品の説…

恩師村田邦夫先生 9はるかなる連弾「河曲駅騒動」

お昼過ぎに河曲に着いた。ホームに入る車窓から、駅の外が見える。K氏の姿と、青い車が見えた。順調に到着!と、いそいそしながらドアーの前に立った。電車が止まる。降りようとしたら、ドアが閉まっている。えっ、手動なの!?手で開けようとしたができな…

恩師村田邦夫先生 8はるかなる連弾「鈴鹿へ」

小田原から新幹線に乗る。ホームで初めて会ったRさんは、明るくて可愛い感じの女性だった。わたしたちは会ったとたんに仲良しになった。車内では、村田先生の、おたがいの思い出話に花が咲いた。先にRさんがいっぱいしゃべった。でもなんだかもどかしそう…

恩師村田邦夫先生 7はるかなる連弾「連絡が入る」

三重県郷土史を研究しておられるK氏から連絡が入った。4月7日(土)に記念館に行くとのこと。野遊もK氏に会う用事がある。急だったのであわてたが、何とか都合をつけることができた。となれば横浜学院の彼女(Rさん)にも知らせてみよう、と打診してみ…

恩師村田邦夫先生 6 はるかなる連弾「墓参」

横浜学院卒業生のその女性は、手紙やメールで野遊に語りかけてきてくれた。村田先生のお墓参りをしたいので、場所を教えてほしい、できたら一緒に、と言ってきた。鈴鹿にも行ってみたいので、一緒にと。村田先生のご遺族の方から、墓所を公開しないでほしい…

恩師村田邦夫先生 4 はるかなる連弾「横浜学院卒業生に救われる」

横浜学院卒業生は、野遊の後の高校生になるので、村田先生は湘南学園中学主事の後に転任されたから野遊よりずっと年下だ。彼女の高校時代の思い出は、村田先生が授業で、どんなことを教えてくださったかが書かれてあった。漢文も習ったそうでうらやましい。…

恩師村田邦夫先生 5 はるかなる連弾「横浜学院が好きだったのね」

野遊の叔父は湘南学園の化学の教師で、村田先生が高校主事として新任され、10人以上もの新教師に一新された年に就職した。野遊の入学した年だ。若かった叔父は、ひたすら村田先生の教えを守り、一生懸命勉学に励み、良き教師を目指していた。いつも勉強、…

恩師村田邦夫先生 3はるかなる連弾「横浜学院時代からの声」

『はるかなる連弾』は、2007年、村田先生がなくなられて、生き迷った野遊が、一気呵成に書きあげたものだったが、県立湘南高校時代と私立湘南学園時代の資料は手元にあったが、横浜学院時代のことについては何もなかった。で、具体的なことを書けなかった。…

恩師村田邦夫先生 2 はるかなる連弾「出版後」

野遊が今、村田邦夫先生について再びここに記載するのは、あるきっかけがあったからだ。野遊は、このブログでは紹介しないできたが、村田先生の追憶をたどった本を出している。なぜここにそれを発表しなかったかは、後述に送る。それは『はるかなる連弾』〜…

恩師村田邦夫先生 1、はるかなる連弾「授業をもっと受けたかった」

昔々の思い出です。湘南学園高校の古典の授業、単位を取る正規の授業ではなく、1週間に1度だけ、古典演習として受けた野遊の時代の湘南学園生は、中学主事となった村田先生の授業を受けられるだけでもラッキーだったと思うべきか、その1年前の先輩方がが…

大黒屋光大夫を辿る旅 35 終章 

個人的には、野遊は、シベリアの日本人墓地にお参りできたこと、ロシアの白夜体験、レッドアロー号で一夜を過ごしたこと、エルミタージュ美術館体験をしたこと、また、光大夫を身近に感じることができたたことなどで、この旅行は有意義だった。この旅行の参…

大黒屋光大夫を辿る旅  34 三重県よ、鈴鹿よ

光大夫が帰国を果たすまでの大活躍は、ロシアという大きな国を相手に、名もない個人が為した、歴史に語られるべき国際交流である。しかし彼の後半生は、それを生かすどころか封じ込められた。それで実際には、光大夫は何の役にも立てなかったのだ。歴史上で…

大黒屋光大夫を辿る旅  33 楽日

8月11日、レストランで晩餐。ご馳走が出たようだけれど、野遊はひと品も覚えていない。毎回毎回、ついにおいしいと思ったお料理はなく。西洋料理も好きだけど、なんというか、このたびの旅行では、というか、ロシアは、というか、どれも味が大雑把で深み…

大黒屋光大夫を辿る旅  32 徒労

この旅で、わたしたちが見学している間に、チャータしていた専用バスが、バス会社の予定外の事情により、ほかのことに使ってしまった。わたしたちのバスの中の荷物は、とりあえずほかの場所に移動させ、用事が済んだあと、また元通りに戻されてあった。けれ…

大黒屋光大夫を辿る旅  31 憧れの聖ゲオルギウス

エルミタージュ美術館「聖ゲオルギーの間」には歴代ロシア皇帝の玉座があり、そのうしろにはロマノフ家の紋章、双頭の鷲が飾られてある。 さて「聖ゲオルギウス」の絵画を見た。 それがこの部屋で見たのかどうか、あんまり一度に見学したので記憶に定かでは…

大黒屋光大夫を辿る旅 30 エルミタージュ美術館Ⅱ

このおびただしい芸術品の数々は、戦いにだけ身を費やしているのではないぞよというエカチェリーナ2世の意思表示ともいわれるが、それこそ財にまかせて、一級品も二級品も、めったやたらという言葉も当てはまるような収集が、世界の芸術品の偉大なる宝庫と…

大黒屋光大夫を辿る旅 29 エルミタージュ美術館Ⅰ

8月11日冬の宮殿には、エカチェリーナ2世が集めた美術品の数々がひしめいている。ルーフの上に黒々と林立する彫刻が、この国を「母なるロシア」と称え、その象徴たるエルミタージュ美術館を守っているかのようではないか。ロシア史のストーリーに足を踏…

大黒屋光大夫を辿る旅 28 ピョートル宮殿

予約してあるレストランで昼食をすませ、午後はペテルブルグの南西にあるピョートル宮殿を見学した。ピョートル宮殿の館内は撮影禁止だ。 宮殿の大きな窓から噴水の庭園を眺めると、噴水からそのまま川になって、まっすぐ伸びた先、はるか向こうは海だ。バル…

大黒屋光大夫を辿る旅 28 ソフィアの池

エカチェリーナ宮殿の庭を歩いて行くと、「ソフィアの池」がある。光大夫が、この池の前で、彼を慰めて歌を歌ってくれた女性と、親しくなったというエピソードがある。望郷の憂愁を癒されたソフィアの池。「ソフィアの歌」というのがあり、ロシアに古くから…

大黒屋光大夫を辿る旅 27 エカチェリーナ宮殿

帝政ロシア時代の首都サンクトペテルブルグの郊外にある夏の離宮、エカチェリーナ宮殿は、18世紀末、エカチェリーナ1世(1725年即位)によって建てられた。エリザヴェータ女帝(1741年即位)が、フランスのヴェルサイユ宮殿に魅了されて、ロココ調に改装し…

大黒屋光大夫を辿る旅 26 トイレ隊長

8月10日 見学でも食事でも、トイレをいつ済ますか、これが問題だ。清潔なトイレばかりではないし、数が少なかったりも。朝ホテルを出るときは、もちろん皆さんトイレを済ませて出発する。野遊は、自分はトイレで困ることはないだろうと思っていた。ところ…

大黒屋光大夫を辿る旅 25 白夜の語らい

ホテルに戻る。怪我をされたご婦人と、彼女の同室の友をねぎらいたくて、野遊はたまたまエレベーターで乗り合わせた数人の友に、ちょっとだけ彼女の部屋に寄りましょうかと提案した。みんな賛同してくださった。怪我婦人だけでなく、同室の友も心細いかなと…

大黒屋光大夫を辿る旅 24 バラの学校との交流

夕食はバスでレストランに出かけ、鈴鹿高校の校長と生徒2名と共に、サンクトペテルブルグのバラの学校の先生とタラソフ氏を迎えた。校歌が日本のフォークソング『バラが咲いた』で、彼らが入室してくるとき、我々は「バ〜ラが咲いたぁバ〜ラが咲いたぁ」と…

大黒屋光大夫を辿る旅 23 ネヴァ川クルーズ

ネヴァ川クルーズ、15時7分に出発。 ラドガ湖から発するロシア北西部のネヴァ川は、サンクトペテルブルグを通ってバルト海の支湾のフィンランド湾に流れる。74キロメートル。 川幅が広いので航行が可能なため、中世からバルト海沿岸と東洋との交易に利…

大黒屋光大夫を辿る旅 22 バスの乗車時間にふたりで遅刻

昼食時間には、団長、スタッフ2も合流し、午後は市街をまわってから15時にネバ川のクルーズがある。観光をしながら、バスの待つほうにゾロゾロ歩く。ハリスト復活大聖堂、通称「血の上の教会」は、見れど飽かぬ建物で、野遊は魅了された。ずっとこの教会…