大黒屋光大夫を辿る旅 12 グンナイフウロウ

ダモイ・・・帰国。望郷の念。彼らの合い言葉はダモイ。雪の上に、土の上に、指で俳句を書いて同胞を励ました山本旗男のお墓はハバロフスクにあるという。
希望を捨てずにダモイ、ダモイ!の一念で過ごした彼は、九年目にしてシベリアの土となる。「ヤマモトハダオ」となっているそうだ。

病のベッドで書いた遺書は、見つかれば没収される。同胞が何枚にも書き写し、切れ切れにして持ち、あるいは暗誦した。(営倉に入って記憶が続かなかった同胞もいた)帰国後、それらの切れ端が年月をかけて少しずつ彼の妻の元に届けられ、ヨレヨレの布切れ端に書いてあるもの、口頭で伝えに来る者、それはみごとな長い遺書として復活したのだ。『ラーゲリから来た遺書』(辺見じゅん著)

手を合わせていると、お線香の香が漂ってきた。ハッとしてふりむくと、団長がお線香に火を点じている。そしてわたしたちはそれを受け取り、お墓の周りにお供えした。団長が般若心経を唱えた。わたしの中に不思議な現象が起こった。そうか。墓参に心を向けながらも、お線香さえ持参しなかった無神論者の自分は、今、自分が渇っしていたことを知った。何がこんなに渇するのかわからずに、やみくも手を合わせていたが、お線香の香と、団長の読経の声が、この渇きをゆるやかに潤していくのを知った。徐々に皆さんが和唱する。

雨もいつかやみ、露を含んだ色とりどりの草花が鮮やかだ。等身大のナンテンの木には赤い実がツヤツヤと光り、足元は黄色、白、紫の小さな花々が咲き乱れている。紫の花は、花弁の形、花のつきよう、葉、グンナイフウロウではないか。ここは日本アルプスの夏の稜線くらいの気候なのだろう。

日本のアルプスの夏を歌う高山植物グンナイフウロウ。もしそうでなかったとしても、酷似しているこの可憐な花は、日本人墓地の周囲にそっと寄り添って、彼らの魂を慰めてくれているかのようだった。花々の微かな揺れと共に、お線香の煙がハラハラと舞いあがり、空に吸い込まれていった。