大黒屋光大夫を辿る旅 18 白夜

8月8日・夕方になっても明るい。夜になっても明るい。さんさんと照る太陽はなく、白々と残る太陽が地上をくまなく照らし出している。照らし出しているというか、浮きあがらせているといった感じだ。

白夜。緯度が66,6度以上の地域はこの現象がある。

「はくや」よ読む。「びゃくや」でもいい。最近はほとんど「びゃくや」と呼ぶ。

「早急」(さっきゅう)を「そうきゅう」と言い、「確執」(かくしゅう)を「かくしつ」と言い、「御用達」(ごようたし)を「ごようたつ」と言い、挙げたら切りがないが、野遊は「びゃくや」は少し種類が違うと思う。

1970年代、「知床旅情」という歌で「びゃくやがあける」と歌われてから定着したそうだが、あれは北海道の歌で、緯度が白夜に満たず、薄明というそうだ。けれどきれいだから「びゃくや」と歌ったのだろう。

白を「びゃく」と読むのに「白月」(びゃくげつ)「白衣」(びゃくえ)、「白蓮」(びゃくれん)、などなどあるが、びゃくと読むにはどれも何か、ただの白ではないものを感じる。語頭にくるのだから「はく」と読んでいいと思うが、語感でなく意味合いの問題だろう。

血塗られたロシアの歴史の息づくモスクワの白夜は、幽妙で、ちょっとおどろおどろしさも漂い、「びゃくや」と呼ぶにふさわしいと野遊は思うのだ。

ちなみにドフトエフスキーの短編「白夜」、これは「「はくや」と読む。あの時代の題名詞として定着しているから。

さてその白夜の赤の広場にて、何かが時間どうりでないのか、またしても延々と無駄な時間を費やすのだが、ぼんやりした長い時間を、団長は広場見物に出かけて行った。何人かゾロゾロついて行った。

どなたかが「一緒に行きましょうよ」と誘ってくださるのだが、野遊は記録することが多くて、なかなかすぐに行動できない状態でいたが、やがて、では行きましょうということになり、今からでは団長群団に追いつけそうもないので、赤の広場の裏手なら近いので、ちょっとそこまで歩くことになった。

実は一気に走れば、すぐに追いつくのだが、皆さん少し年配の方が多く、ハートは「お嬢さん」なのだが、体力や気力は「昔お嬢さんだった方々」なので、それっと急に走ったりを強制できないのだった。それにそんな行為、彼女がたには下品かもしれないし^_^;

そしたらこれもちょっと数人の集団になり、先頭を「昔青年だった人」が歩いてくださった。この方は前年の鈴鹿市長だそうだ。野遊はそんなこと知らなくて、以前、あるいは昔市議会議員だったか県議会議員だったか、知らされるたびに、あ〜それはどうも失礼いたしましたとか言うには言ったが、何が失礼かは自分でも知らない。

この市長だった人とかが、わたしたちがいそいそと道路を渡っても見守るような感じで先導したりしんがりを歩いたり、要請されるままに写真を撮ったり、なかなかゆったりした優しい御仁だった。

少しずつ太陽が光を落としていき、赤の広場のライトアップが反比例して輝きだす。裏側の広場の模様はまた格別な麗しさがあり、野遊はこちら側を見学できてよかったと思った。今日の記録を終えている野遊は気が軽く、おおいに楽しんだ。

今までの野遊の「きれいな景色」とは違う種類のきれいな景色で、野遊は思わず「こんな美しい景色を見てしまったわたしたちは、もう愛し合っていくしかありません」と言ってしまった。それはもちろん井上靖の小説の一節(『猟銃』)を借りたものだったので、なんとな〜く、おろしや国酔夢譚の作者の言葉、どこかで反応あったらいいなとか思ってしまったのだ。こんな場合の、この方々へのジョークにふさわしいと思ったのだが。

今も野遊の目に浮かぶ、赤の広場の裏側ライトアップ。野遊は先導してくださった、この前市長氏に感謝だ。この人は野遊を「何を浮かれているのか、クルクルパーだな」と思ったようだが。