大黒屋光大夫を辿る旅 22 バスの乗車時間にふたりで遅刻

昼食時間には、団長、スタッフ2も合流し、午後は市街をまわってから15時にネバ川のクルーズがある。観光をしながら、バスの待つほうにゾロゾロ歩く。

ハリスト復活大聖堂、通称「血の上の教会」は、見れど飽かぬ建物で、野遊は魅了された。ずっとこの教会を見ながら歩いていた。

ふいに団長が「写真を撮ってあげよう、そこに立って」と。

野遊は「遅れちゃうからいいです」と言った。

でも団長はほんのちょっとだからと。そしたら撮影できなかったとかで、もう一枚、もう一枚と3回。4回目、野遊は強引に断ち切って、皆さんのあとを追った。
(後日、渡された野遊のショットの中に、この3枚も入っていた。つまり撮れていたのだ。後日野遊にただされて団長は「私はショットを気にしますので」とか言っていたが、撮れてないからもう1枚、もう一枚と言ったんだぞ。うそつきだ)

野遊が歩きだすと、団長は、え、こっちじゃないのと、反対方向に行こうとした。
いえこっちですと、野遊はバスのほうに歩いて行ったが、バスの場所を移動していたようで、どこかわからない。団長は、やっぱり反対方向ではないかと言う。
それで野遊もわからなくなって、ではちょっとと、団長を残して反対方向にも駆けて行った。そこに数分の無駄な時間がかかってしまった。
結局、野遊が最初に行こうとした方向でよかった。
で、二人で5分ほど遅刻して皆さんに心配をかけ、添乗員さんに迷惑をかけてしまった。

そのあと団長は
「こういう場合は言い訳をせず、ただ、申し訳ありませんでしたと謝ればいいのです」と言った。
たしかにそうかもしれないと野遊は思った。


けれど団長はあとで、陰で、あれは野遊が違う方向に行ってしまったので、追いかけて遅れた、と言ったそうだ。それを聞いた方が野遊に知らせにきたので知った。なんだと!ムカツク!


何も団長が写真を〜とか言ったことまでは言わずとも、せめて自分が道を間違えて、野遊に収容されて遅れましたとでも言えるはず。何で野遊のせいにするのだろう。団長が保身術を使ったのは、自分の遅刻をカバーするためではなく、その相手が野遊だったことに起因する。その理由は、具体的にはこれ以上書くのはをやめとく。悔しいけど。

このことから野遊は非難されたみたいで、意外な方向の誤解なども混じったり、そのほかにやれなんだか云々・・・これも具体的に書くべきでないか。とにかくいなしてもいなしても、団長の自己保身の証言により、そのあとしばらく、大いなる迷惑をこうむった。ものすごくイヤだった。

あの遅刻の実情について身の証を立てたいものだ。と思うので、ここに書く。ま、あの旅行の方々はこのブログは見ないだろうけど、でもいいのだ。どこかにちゃんと表明しておけばそれでいいのだ。

これも「ゆるみ」の現象かもしれない。

野遊も人間ができていないから・・・わかってはいるけど、当事者としたら結構傷つくものだった。

後日。旅行が終わってから団長にただすと、証人もいるし団長は確かにそう言ったことを認め、しかしあれは嘘ではないと言い、しかも他罪主義はいけないとかお釈迦さまはねとか言って野遊をケムに巻こうとした。他罪主義は団長なのに。で、何が原因で遅れたのですかと聞くと、ガイドが悪いんですと。野遊はこれを以って団長が嫌いになった。(駄文でしたm(__)m)