大黒屋光大夫を辿る旅 24 バラの学校との交流

夕食はバスでレストランに出かけ、鈴鹿高校の校長と生徒2名と共に、サンクトペテルブルグのバラの学校の先生とタラソフ氏を迎えた。

校歌が日本のフォークソング『バラが咲いた』で、彼らが入室してくるとき、我々は「バ〜ラが咲いたぁバ〜ラが咲いたぁ」と歌って拍手したりした。

通訳はバラの学校の日本語女教師。タラソフ氏が5分ほどしゃべり、途中で通訳に渡して黙すと、通訳先生、「皆さん・・・」といって黙る。タラソフ氏も我々もじっと彼女を見て、次の言葉を待ったが、彼女、タラソフ氏を見て「訳しました」というそぶり。なんだろね。ま、導入の挨拶言葉として一括しちゃったのだろうけど、つまり訳せないってことね。

タラソフ氏が次ぎの言葉をしゃべっても、10分の1以下の訳語で済ませてしまう日本語先生であった(>_<)それも自信なさげで声が小さく、うつむいてばかりいる。先日の役所の通訳嬢みたいなものだった。前方でやっているので、野遊にはほとんど聞こえなかった。

食事が始まると、さて野遊の目の前にいるのは鈴鹿高校の男子生徒2名だが、彼らが乾杯のシャンパンを飲んでいるけどいいのかにゃぁ。あまり口うるさくても、と思ったが、ウエイターが持ってまわっているビールも注いでもらっている。野遊はやめなさいと言ったが、隣のご婦人がちょっとならいいわヨと寛大だ。治外法権とかかな(~_~;)放置したが、もし具合悪くでもなったら周囲の大人の責任でもある。

野遊は先生に聞いてごらんと言ったが、さすがに二人とも聞きに行かず、手に余って、野遊が前方座席に座っている校長のところに行き「生徒方、少しアルコール、いいでしょうか」と聞いた。「ダメです」と校長。「一口も?」「ダメです」と。

言いながら校長は席を立つそぶりもなく食事をしている。お宅の学校の生徒さん方でしょうが。しかも一人は校長の息子だそうで。見ず知らずの野遊に委任し切っている態度はどうだろう。野遊は、

「では飲んではならないと申しますので、先生、一度こちらに見まわりにいらしていただけますか。一言声をかけてあげていただけますか」と言った。

すると校長は席を立ち、生徒の席にやってきて、「どうだ、ん」と言う。「アルコールはダメですか」と野遊が聞き、「はい」と校長が言う。で、野遊は「わかりました。アルコールは飲んでいません」とちょっと大きな声で言った。一度飲んで伏せたビールグラスは下のナプキンが少し濡れていて、見るからに飲んだ形跡があるのに校長は気づかなかった。校長はそそくさと戻って行った。しばし生徒たちは神妙になった。しばし、だ。

でもやがてウォッカの瓶を持ってウェイターがまわってくると、ちょっとだけ飲みたいと一方の生徒が粘り、言葉で止めても我がまま言ってちょっと飲んでいた。お〜い校長さん、もう少しこちらにも気を配ってよ。

わぁこれきついとか言うので、野遊はついに実力行使、「もうやめなさい」と、取りあげてしまったが、校長は何も知らぬげに食事歓談。わずかな時間も使えない状態では決してなかったのに、なんとも無責任な校長である。

団長は鈴鹿の学校とロシアの学校と、友好関係を結びたいと発案し、この旅の前に両校を物色して話を進めたのだが、呼応した鈴鹿高校は、野遊から見ると「話に乗ってあげました」という感じがあったような気がする。話に乗る以上は多いなる賛同協力の気持があるべきで、それが感じられなかった。

この校長、生徒2名を連れてきたが1名は彼の息子だし、ついでにサンクト観光旅行である。協力するからと団長に援助金を要求している。
さらに同席の食事会も、流れで共にした昼食会も、団長持ちだったそうだ。心ある人物ならば、それらは自分側で持つなり、逆に団長に御礼をするなり、したくなるものではないかと思う。この校長は教育者というよりは、商売気分で応じたように野遊は思った。

それでも自分の描いた図を仕立てていきたい団長ではある。団長の思うように、両校友好関係を結べて、ま、よかったというべきなのだろう。しかし今後はどうなっていくか。校長さん、しっかりやってくださいよ。

食事が終わっても酔った連中は歓談でいくらでも時間が使えるが、ほとんど飲んでいない連中は疲れが顔に出ていた。野遊もすっかり疲れて、早く戻りたいと思った。2時間以上かかった。宿泊ホテルのレストランでないから勝手に帰れないし。

ようやく終わってバスに乗ったとき、不快感と疲れでちょっとぐったりだった。