大黒屋光大夫を辿る旅 27 エカチェリーナ宮殿

帝政ロシア時代の首都サンクトペテルブルグの郊外にある夏の離宮、エカチェリーナ宮殿は、18世紀末、エカチェリーナ1世(1725年即位)によって建てられた。エリザヴェータ女帝(1741年即位)が、フランスのヴェルサイユ宮殿に魅了されて、ロココ調に改装したという。ロココ調の部屋が多い。額縁も椅子もドアもロココ調。そしてエカチェリーナ2世が1770年に完成させたというのが世に名高い「琥珀の間」。女帝たちが手を加えてできていった「女性の夢の宮殿」だ。
この宮殿、第二次世界大戦でほぼ完璧なるダメージを受けたが、復元された。

ひときわ高い五つのクーポル。真ん中の一つが特に大きくそびえている。クーポルはその数で意味を為し、五つの場合は中心がジーザスで、まわりの四つは福音書を記した方々を象徴しているそうだ。宮殿は白いトーンに、縦に走った青、散らされた装飾の金、彫刻の薄茶。

ファンタステック!遊園地の建物みたい。おとぎの国の家みたい。そうではなくて、遊園地が宮殿を真似たのだ。おとぎ話が宮殿から生まれたのだ。
庭園には緑が広がり、ギリシャ神話の神々の彫刻が、今にも動き出しそうにそのドラマのシーン、シーンを物語っている。10平方メートルの空間も抜かりなくそれぞれに、作り手が精魂込めて「遊んでいる」。
屋根も、壁も、窓も、廊下も、柱も、天井も、隙間なくびっしりと工夫が凝らされて、どこまでも続くこの大空間は「世界」だ。

日本の建築美は、吸った息を止めて凍結する。西洋の建築美は、吸った息を吐いて「ワァ」と感嘆の声をあげる。日本にはない種類の建築美に酔った。感嘆の声ばかりあげていた。

謁見の間で、急転直下気が引き締まる。光大夫はここでエカチェリーナ女帝に謁見し、帰国を嘆願したのだ。なんと広い、なんと天井の高い部屋だろう。白い壁には、やわらかい彫刻の数々が金色に輝いてまとわりつき、ほのかに青い陶器が調和する。映像などで知っていたものの、実際にそこに身を置くと、押し寄せるような脅威を感じた。脅威?素直にどうして「ワァ」ではなく脅威なのだろうか。
そのときわたしの心は光大夫に寄り添っていたのだった。

鎖国の時代の日本人、学者でもなく、船頭であり商売をまかなう人である光大夫が、宮殿で見たものはなんだったのだろう。異国の風景というにはあまりに遠い、それこそ異次元体験に度肝を抜かれてきた光大夫だが、それらの試練をさらに上まわって、この国の最高権力者エカチェリーナに謁見するには、装置までもが威圧的に整いすぎていた。
「光大夫さん怖かっただろうな、かわいそう・・・」
わたしが初めて光大夫の息吹を体感したのは、謁見の間で心を震わせた一瞬であろうと思う。