大黒屋光大夫を辿る旅 30 エルミタージュ美術館Ⅱ

このおびただしい芸術品の数々は、戦いにだけ身を費やしているのではないぞよというエカチェリーナ2世の意思表示ともいわれるが、それこそ財にまかせて、一級品も二級品も、めったやたらという言葉も当てはまるような収集が、世界の芸術品の偉大なる宝庫として、現在多くの人々を呼び寄せ、ロシアの観光産業を支えていることを思えば、エカチェリーナ2世の威勢は後世までもロシアの上に君臨していると思えてくるのだった。

ただし個人的には、美、美、美に追いたてられるような感動の波の向こう、がらんと取り落としたように足りないもの、それは「清廉潔白の美」であったと思う。
また、どこもかしこも飾り立てるバロックのきらびやかさは、日本人感覚に合わないような気もする。

壺に活け花をするとき、華道の差はあれ、わたしたちはそこに物語を描く。しかし西洋のそれは、四方八方びっしりと花で丸く盛りあげる。それも華やかで美しい。でも活けた人の物語は感じられない。
金の茶室の秀吉とて、あの騒がしい秀吉とて、装飾なしのすっきりした純金で仕あげた。
かろうじて言えるなら信長の安土桃山城が、もしかしたらバロック的な感覚に近かったかな。

バロックという言葉が生まれた当初は蔑みのようなニュアンスがあって、正式用語ではなかったそうだ。それが歴史と共にだんだん認められ、これらの建築を象徴する言葉として定着した。なんかわかるような気がする。

今までを打ち破って出現する芸術は、すぐには受け入れられないだろう。そこで生き残れたものが、その資格を取得するのだ。

与謝野晶子の歌は、当時はその道の人たちに敬遠されたと聞く。歌の内容が不遜であるとか、歌い方が轍を踏んでいないとか、歌謡曲じゃあるまいしといったところだろう。同時に熱烈なる支持者、ファンもいた。古参がたがいかに撤廃しようとしても、撤廃できない力を持ったものが、芸術の殿堂に、黄金の釘を打ち込んでいくのだろう。

日本で暮らす野遊には、バロック建築はやはりカルチャーショックがあり、感嘆はしたが、すぐに肯定的には受け入れられなかった。教会なんてお菓子の家みたいで、お店ひとつ見ても、色も形も疲れるばかりにガチャガチャで、あんなのが一つでも、日本の道路に建っていてごらん? 美しいのうという前に、ぎょ、なにこれ、でしょ。