大黒屋光大夫を辿る旅  33 楽日

8月11日、レストランで晩餐。ご馳走が出たようだけれど、野遊はひと品も覚えていない。毎回毎回、ついにおいしいと思ったお料理はなく。西洋料理も好きだけど、なんというか、このたびの旅行では、というか、ロシアは、というか、どれも味が大雑把で深みがないと野遊には思えた。1週間の短期間で日本の食事を欲したことはなかったが、ロシア料理はもう結構、とは思った。

楽日なので乾杯して、団長が挨拶して、食事が始まると、ステージでロシアンが歌を歌ってくれた。そのままでも聞こえすぎるほど聞こえるのに、マイクを通して歌うので、わたしたちは会話できず、黙って食事していた。

そのうちダンスのできる歌になったので、数人の人が前に出て踊った。野遊の隣の席のご婦人は、いつも食事のとき野遊を「こっちよ」と、呼んでくださった、優しくてお行儀のよい、静かな方だった。若いころは鈴鹿の山々を歩いたそうで、鎌が岳について話してくださったので、特に仲良しになった。そのご婦人が自ら前に出てダンスをしたので、野遊は拍手をいっぱいした。

みなさん、おたがいに優しく、強行スケジュールのときも凛として挑み、すてきな方々だった。

歌がやんでから、食事も終わりに近づいたころ、野遊は団長から「今月生まれの人に」と、お誕生祝いをプレゼントされた。
1年は12ヶ月あるのに、参加者24人いて、8月生まれは野遊だけか・・・

今日が誕生日というわけではない。それにみんなの前で、ひとりだけプレゼントされるのもイヤだった。別に何か手柄を立てたわけでもないのに。ちょっと憮然としてしまった。

出ていきなさいよ、と隣のご婦人に言われ、前に出ていって、ぎこちない心で黙って受け取り、席に戻った。その場で開けるとか、喜ぶとか、野遊にはそういうことができなかった。

せっかく楽しかるべき晩餐会なのに、野遊は不器用で社会的でないのだろう・・・

あとで見たら、それは美しい琥珀のネックレスだった。
野遊は、団長の為したること(この旅行)の意義を理解するが、個人的には、団長の人柄を肯定できないので、素直な気持になれないのだった。
今もこの琥珀を見ると、野遊は、表現しがたい悲しさに包まれる。