鈴鹿の鋭鋒 鎌ヶ岳  1/no,6 「ゆかしい国、鈴鹿」

鈴鹿山脈

三重県の北部、山域は南北に伸びた標高1000m前後の山の連なりで、縦長に三重県のほぼ3分の1を占める。山脈の北限は関が原だが、三重県で区切れば烏帽子岳、三国岳。南限は滋賀県との境の油日岳とか、内側に入って旗山になる。


本州の最も狭い部分にある山で、日本海式気候を受け、植物の固有種もあり、冬期はかなりの雪に埋もれる。低山のため夏は暑さと、ヒルへの覚悟が必要とか。

滋賀県からも登れるが、ほとんどが三重県からの登山となり、それは、三重県側のほうが急峻で、滋賀県側からはゆるいスローブのような感じで長い。交通の便も断然三重県側からとなっている。

鈴鹿峠は古くから活用されていて、今も有名、時代劇にも、山の中を歩く場面に「鈴鹿峠」などと出てくる。

三重県は日本の歴史の中で、もっともと言ってもいいほど重要な地点で、それこそ歴史の有名人のだれもかれもが通過したであろうところだ。「通過」だけれど。
東海道53次の宿場も多く、伊勢神宮もある。古くは日本書紀に、鈴鹿川を渡った大海人皇子がある。由緒といったら絶大なる由緒深い地域なのだ。

鈴鹿市は、戦中(第2次世界大戦末期)、メタメタに軍事に利用されたが、戦後、高度成長期時代に、杉本龍造という優れた人物が市長となり、日本最長八期務め、みごとなる鈴鹿市政を樹立させた。お隣の四日市市は煙突から煙をモクモク吐いて、日本有数の工場地帯となって栄えたが、杉本市長は公害を排出する工場の建設を拒んだ。と、簡単に言っても大変なことなのだ。

鈴鹿は、「鈴鹿茶」(かぶせ茶)、「伊勢茶」の名産地でもある。「伊勢紙」「鈴鹿墨」は押しも押されぬ日本一だ。サツキの栽培も、トップのシェアを誇る。そして繊維のカネボーなど、公害を出さない企業のみを招じ入れた。やがて、鈴鹿サーキット鈴鹿の代名詞のようになるが、本田技研の本田氏が、なぜ鈴鹿をサーキットの地に選んだのか、感動的な実話もある。これすべて杉本市長と、彼を信頼した鈴鹿市民のなせる業である。

鈴鹿はゆかしい国だ。この鈴鹿が守る鈴鹿山脈である。