恩師村田邦夫先生 8はるかなる連弾「鈴鹿へ」

小田原から新幹線に乗る。ホームで初めて会ったRさんは、明るくて可愛い感じの女性だった。わたしたちは会ったとたんに仲良しになった。車内では、村田先生の、おたがいの思い出話に花が咲いた。先にRさんがいっぱいしゃべった。でもなんだかもどかしそうだ。聞きながら野遊ももどかしい。どうしてかってわからない。もっと話して、もっと聞きたい、いくら聞いてももどかしいのだ。

そして野遊もいっぱいしゃべった。おたがいに、いくらしゃべってももどかしいのだ。全然足りない。でも、いくらしゃべっても、このもどかしさは解消できないのだ。

途中で昼食タイムがないので、少し早めだが駅弁でお昼を済ませ、またおしゃべり。すぐに名古屋に着いてしまった。

そこからはいつもの「快速みえ」でなく、関西線乗車となる。いつもは、まず鈴鹿に行くから。今回は記念館のある「河曲」だ。野遊が初めてハチの思い出を抱えて三重県に入った2007年夏、やはりこの経路をたどっている。物珍しく車窓を眺めていたものだ。(今も物珍しい)四日市の駅で、工場地帯が妙に不気味に感じられた。それから車窓はがらりと変わり、鈴鹿はのどかな田園風景だった。無人の河曲駅は、お店もタクシーもない。

河曲駅から記念館までは遠く、なかなかわからずに迷ったものだ。(過去ログに掲載)
畑をぐるぐる回ってしまい、ようやく国道に出る手前の建物の駐車場で、車を出そうとしている住民の方に道を聞き、その方の親切で、記念館まで送っていただいた懐かしい思い出。その方がご家族づれだったが、佐佐木信綱記念館を知らなかった。でも小学校の名前を言うと、わかったようだった。住民方はあまり知らないのだなと、なにやら感慨深かった。

河曲駅から記念館まで、徒歩で40分ほどかかる道のりだ。今回はK氏が、駅まで迎えに来てくれるとのこと、心強い!