ネコたち日誌 (5)  8月3日(月)第4日目

はい今日はネコというよりゴスケの話です


食べない排泄しないジロだったが、放っておいたのが功を奏したのか、だれも見ていないところでは食べるようになった。ペーパーにキャッツ・フードを少し乗せて、ジロが寝そべっている高い場所に置くと、もうシャーしなくなった。そして、後で見ると、なくなっている。見ていると食べないけどね。そういうときは梅太をほかの部屋に入れて、ここに来させないようにする。梅太はみんな食べてしまうから。

でも野遊も出かけるので、帰ってくると、明らかにジロのエサを梅太が横取りした形跡があり、それでは梅太も食べすぎでよくないので、ゴスケにきつく言うのだが、ゴスケは事の重大さを感じていなく、軽くあ〜そうだった〜とか言った感じだ。それで野遊はすごく怒る。

ゴスケは今春臨採も終えてすっかり本物の退職をしたのだが、ほかの職を探そうともしないで日がな在宅していた。思えば何十年も教職を務めていたのだから、1か月や2か月は何もしないで在宅しているのもいいものだろう。

野遊は平日は出かけるので、あんなに家にいては筋力も気力も精力も衰えるのではないかと思ったものだ。公園に鳩のエサやりでもいいから、外出すればいいのにと思った。でも外出は、まあ春休みあたりは歓送会だとか、後輩の相談に乗るとか、なんだかいそいそ出かけていたが、4月以降はお使いくらいしかなかった。それはつまりお買い物で、スーパーに食品や猫の砂やエサを買いに行くのだが、園芸のものも買ってきたりして、狭い庭に花や野菜を植えて、毎日「嬉々として在宅していた」。

そこにネコらが来たので喜びに拍車がかかり、もう大変でうるさい。本来なら微笑ましいのだが、野遊はゴスケを「信頼していない」。野遊が目を離したすきに、あれほど言っておいたのに、という失敗をケロンと繰り返す。それでいてあまり気にしていない。ネコだってしょっちゅう食べ過ぎたら取り返しのつかないことになるんだってば!

リュシー(過去のネコ)は、今はこのエサ以外は与えてはいけないという療養中、何度も、キッチンのテーブルの上に食べ物を置き放し、空腹のリュシーが食べてしまって、野遊がどんなに口で言っても守らず、ある日、外から帰ってきた野遊が、その現場を見て、「こんなことをしていたら、リュシーは死んでしまう」と言った、次の次の日、本当にリュシーは死んでしまった。

ルル太のときもそうだ。やはり野遊が出かけているときに失踪させてしまい、それを何日も言わなかった。野遊は選挙活動期間、早朝外出して深夜帰宅していたので、目が届かなかったので、選挙事務所に連れて行こうとしたのだが、ゴスケが「大丈夫!」とルル太をはなさなかったので委ねたのだ。しっかり申し送りして委ねたのに、これくらいと思ったらしく、それらを反故にしてルル太を失なってしまった。というようなことを書き出したら切りがない。

それらすべてがすべて教訓とならず、ゴスケは勝手にネコたちをかわいがって喜んでいる。ことほどさように取り返しのつかない様々なことでゴスケは失敗している。その失敗の負債を今も背負わされ続けているのは野遊だ。野遊はだからゴスケを信じられなくなって久しい。このたびネコのことでまたゴスケと渡り合わざるを得ない状況になったが、わずかな言葉の接触でも、あああ…まったく変わらない。反省、進歩のない人だ。

蛇足・・・ゴスケがほかの職を得ずに在宅していたのは、産休などの教師に代わって呼ばれるのを待っていたらしい。9月からしばらく、ある学校の受け持ちの先生が赤ちゃんを産んで育てる間の半年〜1年、ゴスケは職場復帰する。これまたうれしそうだ。世の中のお役に立てる仕事ではある。教師として良さを発揮できるんならいいんじゃない?夫としてだめでも。だからもう夫でいないでね。
来世でも接触無用。家族でなければいいかもね、友達なんかなら考えとく。