マナスルBC ヘリトレッキング 33 ヒマラヤそば

カトマンズフリーディのラストランチは、どこにしようかなあとか話し合っていた時、野遊はヒマラヤそば処というレストランを提案してみた。それどこと聞かれても、野遊も連れて行ってもらったところなのでよく知らなかった。みなさんすぐにスマホで調べて、よしそこに行こうということになり大型タクシーで行った。

以前は草の屋根のあるガーデンで、お花を眺めながら食事できたが今回はガーデンテラスがなくなっていた。コロナで客足が減り、規模を小さくしたのだろう。建物の中も結構広くて大きなテーブルに全員座れた。室内は少し暗く感じた。外からの日差しは明るかった。

そば定食が運ばれてきた。信濃で学んだというコックさんが打つお蕎麦だそうだ。天ぷらと蕎麦団子がついている。蕎麦つゆもおいしい。ちょっとお蕎麦が柔らかめだった。それはもしかしたら、予約なしでどっと行ったので、急いだのかもしれない。でもおいしくいただいた。

今回は全体的に小ぶりだった。前回はついてくる小料理も多く、お蕎麦は、ダルバートみたいにお代わりがいくらでもできたが、今回はお代わり1回きり、しかも少量、という感じだった。それでも閉店しないで続けてきたのだなあと感慨深い。

隊長は窓から見える景色を眺めながら、「軽井沢にいるみたい」と言った。そして後日、アタックサミット隊がこのお店でランチしている写真がラインに載っていたので、隊長は気に入ったんだなと嬉しく思った。

(写真は2014年、初めて行ったヒマラヤそば処)

マナスルBC ヘリトレッキング 32 マナスルシャツ

ギャコック料理の後、そろそろ22時、隊長は2次会だということで、私たちを連れて街を歩いたが、もう夜だし暗いし、野遊には道がわからなかった。隊長はタメルの街をよく知っているなあ。で、はぐれてはならじとついていくと、小さなお店に入っていき、そこはシャツがたくさん飾られてあった。マナスルという文字と山の刺繍をシャツに施した特別注文。隊長はアタック、トレック隊員全員に、このシャツを作ってくれるらしい。青いダウンももらったし、あそれから手ぬぐい的「布」も配られたなあ。野遊は行動中首に巻いていた。野遊には全部思い出深い記念品だ。

シャツが明日までに仕上がるか確認して、それからその上にある「TOM&JURY」というお店に。階段を上がって入った。そこでみんなでアルコールやジュースを飲んだ。店内は暗くて広かったがすいていた。窓外にはまだ明るい街が見下ろせた。

TOMとJURYは男なので、本当は友達なのだが、ホモっていう解釈を敢えてして、以前はカップルの男同士のたまり場みたいになってしまい、評判が落ちたというか、一般人の出入りがなくなった時期があったそうで、今はそこを持ち直しつつあるようで、我々なんかは、だからそのお店にとって協力者みたいなものらしい。隊長はお店の人たちとも仲良しのようだった。

ところでこのマナスルシャツ、サイズを隊長が勝手に判断したのがすごく残念だったのだが、野遊にはsサイズでかなり無理があった。着られるけれどきつくて、体系がしっかり出過ぎで、野遊は今はゆったりしたLサイズなのだ。でも一度着た。あとは大事に保管。もっと歳を重ねて今より小柄になったら着られるかな。

(写真はカパンに住むデンディシェルパの奥さんが招待してくださって、手作りのモモをご馳走になった。このモモは今まで食べたモモの中で最高においしかった。バッファローの肉だそうだ)

(これ一人前。とても野遊には食べきれない量だったが)

(デンディシェルパには、たくさんたくさんお世話になった)

 

 

マナスルBC ヘリトレッキング 31 日本人はうるさいと

カトマンズの夜は賑やかで、今夜はギャコックを楽しもうとトレッキング隊は隊長に案内されて、大きなレストランに行った。ギャコックは10年ほど昔、野遊がそれまで続けていた業務をリタイアして時間が持てるようになって、初めて参加したエヴェレスト街道トレッキングの往路、タイ空港で乗り継ぎのためバンコクに宿泊した日、タイの名物ですという紹介で出てきたお鍋料理だった。バンコクガイドの女性が、野遊に丁寧に取り分けてくださったものだ。

今回は自分で自分の分を取り分ける。野遊は中華料理なども、真ん中のお料理をめいめいで取るのが、あまり好きでない。バイキングとかも好きになれない。

みなさんは楽しそうにおしゃべりしながら食事しているので、野遊も頑張って付き合っていたが、アルコールが入り過ぎると声が大きくなる宮さまは、野遊の隣なので、もう、ほんとにガンガンしゃべって笑いまくって耳が痛くなるほどだった。飛沫も明かりの下でキラキラツブツブ飛びまくり。

隊長も、おもしろい話をして天衣無縫に笑い飛ばすし、みんなもうワイワイ騒いでは笑い、自宅ではないのに声が大き過ぎる。ほぼ怒鳴り合っては大笑い。

テーブル席の西洋人男性が、はあぁと大きなため息をついて立ち上がり、こちらを眺め下ろしながら「noisy!」と言った。そして会計して出て行ったが、出て行くときも振り返って我々を見た。それは実に怒りがこもった視線だった。

その直後に数人の西洋人男女が会計に立った。皆こちらをじっと眺めながらだった。眉間にしわを寄せて白い目でこちらを見る女性もあった。

野遊の立場で注意ができなかった。野遊の隣席の巫女さまは静かだった。野遊のようにドキドキしていないのだろう。そうなりたいと思った。

ある記事で、海外のレストランで日本人は騒ぎすぎて迷惑だと読んだことがある。野遊は、それはきっとお金持ちの俳優などが所わきまえずに威張って騒ぐのかと、恥ずかしく思ったが、俳優たちとは限らないのだと知った。

不快そうにこちらを眺めていた会計カウンターに座る東洋人の女性は、私たちが会計に立った時、一度も顔をあげなかった。

これは辛い思い出の一つだ。これからも皆さん、楽しい場では辺りかまわず騒ぐのかなあ心配だ。

マナスルBC ヘリトレッキング 30 カズに会う

カトマンズに戻って、しばらく予備日などを使ってのんびり過ごすことになった。その日を利用して、フジホテルの支配人のパラデップやドルガと語ったり、懐かしい友人に会いに行ったりした。ロータスレストランのカズにも会いに行った。カズは白い髭を垂らした日本人のおじいさん。カトマンズを訪れるたびにカズに会うのが楽しみだった。日本の甘いお菓子やおせんべい、海苔と梅干をお土産に持っていった。カズ、今回も元気そうで嬉しかったが、痩せているのが気にかかる。

トレッキング隊のメンバーの巫女さまが、カズに会いに行くとき付き合って下された。というかお土産を一緒に買いに行ったのだったが。道に迷わないように、曲がり角を3回まで曲がったらそれ以上は行かない。と言い合って歩いた。もう一人のメンバーのムッチちゃまは、この日、お友達に会いに行くとのことでお出かけしていた。

近藤隊長は、今回は隊長、もとい体調を崩してしまってトレッキングに参加しなかったので、野遊は山での彼を知らない。今回は観光隊長だけとなったが、まるで観光隊長専門のような感じだった。美味しいレストランもよく知っていて、遊ぶのも飲むのもお付き合いというよりも堂に入っていた。トレッキング隊の宮さまはアルコール漬けのような男性で、ランチでもビールや何たらいうお酒類を平気で飲んで楽しんでいたが、隊長とは酒息が合っているというか、そのように見えたが、今思うに隊長がみんなをそれぞれ楽しませようとしてくれていたのかもしれない。

(写真はサマ村のロッジでの食事。ちゃんとトンカツだった)

 

マナスルBC ヘリトレッキング 29 ヘリの前席に座れた!

そういえば野遊、ヘリに乗り込む寸前に、ゆうさんの次に、もう一人の誰かに後ろからガバッと抱かれ、「元気で!」と言われた。それは一瞬のことだった。すぐにヘリに乗ってしまったので、言葉のやり取りはなかった。えーとえーとあれはぁと思い出し、あ、そうだカッちゃんだった。ロッジで一緒だったカッちゃん。

カッちゃんも、このヘリが飛び立つときに、近くにいたのだなあ。それは彼はユーチューバーなので、経過を撮影していたのかもしれない。それで野遊の乗り込もうとする姿を見て、言葉をかけてくれたんだなあ~野遊は感謝と共に、カッちゃんの足首が良くなって、アタック当日までに体調良好になっていますようにと祈らずにはいられない。他のアタック隊の隊員がたとは顔を合わすこともなく、すぐにBCを離れてしまった野遊だが、やっぱりBCに立てたことは大きな喜びだったと改めて思った。

AG隊に感謝。参加して良かったなあ🌸

てことでヘリは、サマ村に着きます。ここで荷物を積み直して、カトマンズに飛びます。野遊が前の席に乗ってみたいと言うので、隊長は「体重が…」と言ってちょっと困っていた。大きな重い人が前席に乗ってバランスが取れるそうで、野遊は小柄なので、本当はもう一人の大きい人にそこに座らせたかったようだったけれど、運転手が大丈夫と言ってくれて、野遊の足元にも荷物が置かれた。そのお陰様で、野遊は初めてヘリコプターの前席に座れた!

そしてじっと景色を眺めつづけた。忘れられない喜び。

今回のトレッキングで一番素晴らしい思い出がこれだ。

マナスルBC ヘリトレッキング 28 温暖化

機内にはトレッキング隊のメンバーと近藤隊長がいた。隊長が、最後の野遊の付き添いをゆうさんに依頼したのだろう。野遊が高山病にならないように気をつけて、15分以内に戻るのなら大丈夫だからその間のことは任せるよと。隊長もゆうさんも、野遊の心のケアをも慮ってくれたのだろう。

今ごろゆうさんは、とっとと気持ちの100パーセントをサミットアタックに向けているんだな、とヘリからの、遠ざかる景色を眺めながら野遊は思った。

そして、かくなる上は、野遊はなんとしても、ゆうさんの無事登頂と下山を、そしてゆうさんはアタック隊の隊長だから、隊員みんなの成功を祈ろう!!!!と、かたくかたく思った。

 

そしてマナスルのBCが、黒々としていたのを思い返し、そういえば隊長が一昨日「鬼のような雨です」とメールをくれたけど、4800mが雪でなくて雨とはどういうことだろうと思った。雪のような冷たい雨というのでもなく、現に野遊は登山シャツの上に何も着ていなかった。だって全然寒くなかったし。こういうところにも確実に地球の温暖化が深まってきているのだなあと実感した。

マナスルBC ヘリトレッキング 27  15分のBC

ヘリは、黒い土の上に黄色(テント)が点在している地点に近づいていき、ぐんぐん降下して、やがて垂直降下、マナスルのベースキャンプに到着した。雲が多くて、降りてすぐには、どこがどこだかわからない。

まだ辺りを見回してもいないうちに、な、何とゆうさんが走り寄ってきた。もう野遊にはゆうさんは、このトレッキングで何がともあれ信頼の御仁で、絶対だ。ゆうさんは野遊を抱えるようにして安全地帯?に連れてきて、シェルパに用意してもらっていたのか、濃いミルクティーを「これ飲んで!」と差し出す。

大きなマグカップで、今、それより景色を見たい。

でもゆうさんの命令なので、とにかく一生懸命飲む。あんなに必死でミルクティーを飲んだのは生まれて初めてだ。

ゆうさんは「カメラ出して」と言い、カップを持ってるままの野遊に、何度かシャッターを押した。BC滞在証拠写真か。

野遊が何か言おうとすると、肩をすっぽり抱き込んで、耳を近づけてくれる。ほぼ神だ。

神は、ヘリが出発の準備を終えると、野遊にしっかり付き添ってヘリの入り口に連れていき、すごく近くに来て鼻がぶつかったがお構いなく「元気で!」っと野遊を抱きしめ、気がつくと、野遊はもうヘリに乗って(乗せられて)、サマの村に飛び立っていた。

野遊はBCで何を見ましたか?知らない。ミルクティー飲んだけど。でも15分は居たのですよね・・・

(写真、この斜め上のモレーンを登って行った先がBC)