野遊・呼吸の世界 11 スコット・フィッシャー

(13)隊長スコットの密かな苦悩

マウンテン・マッドネスという登山ガイド社の社長スコット・フィッシャー。彼は長髪を束ねて後ろで結んだ、面魂精悍な優秀なる登山家だ。その実力をビジネスに運用した彼は合理的な、いかにもアメリカ人的な人物だったのだろう。登山家スコットのファンは多勢いたそうだ。

彼は今回のツアーのガイドとして、ニール・ベイルドマン(米)を確保し、もう一人を物色していた折、アナトリ・ブクレーエフに出会った。ニールは1万ドルで交渉が成立していたが、アナトリはそれ以上を要求した。アナトリは当時登山家として認められながらもロシアというお国柄、なかなか豊かな生活が保障されず、行きたい山に行けない状態だった。ガイド登山の仕事を求めて、どこそこかと契約していたようだが、スコットからの仕事は世界最高峰であり、1万ドルと高額なので、言うことなしのはずだった。が、アナトリは登る朝日の勢いにあるスコットの足元を見た。

「それでは2倍出そう。2万ドル」「いや、2万5千ドルを要求する」「そんなには出せない」さすがにそんなには、とスコットは思ったのだろう、多忙の中での打ち合わせだったのでひとまず別れた。
次の打ち合わせで、アナトリは「2万ドルしか出せないと言われても、引き受けよう」と思って出かけたそうだが、ややこしい会話の始まる前にスコットが、あっさりと2万5千ドルでOKだと表明したそうだ。

まだそれほど派手に有名でなかったアナトリの登山家としての実力を、スコットが見通したということになる。現にアナトリは高所無酸素登山の実績があった。けれどガイドの実力は、隊長の指揮下に於いて発揮されてこそであり、スコットが、会って日も浅いこのロシア人の人間性を、そこまで見通せなかったことが、今にして思えば痛恨の極みだ。

キャンプを伸ばすときも、ガイドはシェルパとともに先行して、顧客のために道を点検し、テントを造り、その周りを整備するのだが、アナトリはシェルパが出発するときも休んでいて、シャワーを浴びて何時間も遅れてベースを出ているばかりか、到着しても作業をせずに、造られたテントに入って休んでしまう。つまり、サボっていた。それをスコットが知ることとなる。現場にはシェルパしかいなかったのだから、シェルパが言ったのだろう。つまりシェルパもアナトリの態度に不満を感じたということだ。スコットがアナトリに注意をしたそうだ。それはスコットらしい注意の仕方で、笑顔で明るく「やあアナトリ、君は遅れて行って、彼らを手伝わなかったそうだが、ちゃんとやるべきじゃないかね?」とかいう表現だったそうだが、それは周囲にいた顧客たちの思い出話を元にしたものなので、本当の言葉や雰囲気は不明だが。

でも情報収集したジョンに、後日書かれてしまったので、アナトリは著書「Death Zone」に、「自分はシェルパが生き生きと仕事をしているので、彼らは自分の仕事ぶりをここで主張したいのだろうと思い、遠慮したのだ」という意味のことを書いている。厚顔な言いわけにしか聞こえないのはわたしだけだろうか。そして、ではなぜ遅れて出発したかなど、言いわけもできない行動については触れていないのだ。アナトリはだれもが避けたい、陰の労力を惜しみ、スコットは、隊長でなくともいい場面にも労力を使わねばならなかった。 

第2テント、第3テントと伸びていくうちに、隊の中から具合の悪くなる者が出て、なんと隊長スコットが彼に付き添ってベースに戻るのだが、これはものすごい体力精神力の消耗となる行動だ。一応アナトリの言いわけ?として、「自分を信頼する者に、自分がついて行ってやらねば」というスコットの考えだったそうだが、アナトリは、では信頼されていなかったということか。言い訳が混んでくると、語るに落ちるというものだ。

スコットはガイド長とガイドの両役をこなさなくてはならなかった。あれこれ諸々のアクシデントの処理などに奔走し、高度順応もできないまま、アタック日までにテントからテントへ、スコットの歩いた距離は、エヴェレストを何往復もするほどになっていたという。隊長がこんなに動いてはならないのに!

もう一人のガイド、ニールは、スコットの言われるこまごまとしたことをこなしたが、アナトリとの料金のあまりな差によって、常に一歩下がっていたようだ。ガイド隊長、ガイド副隊長、平ガイドという感じになっていって、顧客たちはそれをはっきり知るのだった。ニールにも不満があっただろう。

遠征登山隊で、内輪の感情がもつれるとうまくいかない例が多々ある。登山協会が組んだ遠征も、隊員が自分こそと思う登山家ばかりで、長い遠征生活のうちに感情がギクシャクしてきて、登頂断念という例もある。このたびはガイド登山なので、隊員はガイドに委ねればいいはずが、そのガイドたちが感情障害を起こしているのだから救いがない。

スコット隊が分裂せずにいたのは、スコットの度量と経験と忍耐が、辛くもこの隊をアタックまで引きずりあげたということだろう。その反動としてスコットは疲労する。持病が出てきたりして、後半は密かに苦しんでいたようだ。そんなにムリして行くことないのに・・・だったらアナトリにアタック長を一任し、自分はしんがりを途中までフォローして、アタックテント周辺を守っていれば、隊長として充分立つ瀬があっただろうに・・・どうして登っちゃったんだろうスコットってば(ToT)


(14)スコットとアナトリの衝突

アフリカ隊とやりあったり、嫌なことばっかりの中で、校長先生と小番さんを同時にこなしていたスコットは、アタック前日、本当に心臓に悪い体験をして打撃を受ける。実はここはアナトリとのやり取りであって、書物に具体的には書き残されていない部分だ。つまりわたしの推量だ。確固たる推量。

まずは事実から。スコット隊の顧客、レーネ・ギャメルガードは、無酸素で高所を登った経験のある女性だった。彼女はスコットに、このたびも自分は無酸素で登りますと主張する。スコットは断じてそれを許可せず(自分の隊に応募して登る以上は約束に従ってほしいということ)、気の強いレーネは引かず、ひと悶着あった。レーネが再打診しても、スコットはこればかりは絶対に許可しなかった。レーネは命令されれば従うしかなく、気分を害し、スコットと、スコットにくっついている二ールを非難し、アナトリと気を合わせたようだ。

わたしがレーネを批判できないのは、いったいこのガイド登山隊は、最初にこういったことを打ち合わせていなかったのかという疑問だ。レーネも、先にこのことを断っておかなかったのか。こんな大事なことを、アタック日直前に打診するなんて考えられないが、また、それを申し込み時点で納得させておかなかったガイド社も手落ち甚だしいではないか。どっちもどっちだ。箱根山登るんじゃあるまいに。

1、しかしなんでレーネはそんなに怒ったのか。その後、人前で嫌味なほどあからさまにアナトリに親しげにしたそうだが、レーネにはそれだけの理由があったのだと百歩譲って想定して、レーネは申し込み時点で、無酸素登頂を申告していたのかもしれない。スコットが(あるいはマウンテン・マッドネス社が)なまくら返事をしていて、この期に及んで規約を押しつけたのかもしれない。だったらレーネ、悔しかっただろうとも。一生に何度も体験できることでなし、顧客として主張したいこともあっただろう。

2、もしレーネがこの場で初めて無酸素登頂を申し出たなら、それは、否定されても仕方ない。レーネに怒る権利はない。個人では自信がないからここに申し込んだ以上、この軌道に乗って登ることを承知すべきだ。急に言いだすのはわがままだ。

いずれか。真実は闇の中。そもそもそんな分裂をきたしていた登山隊こそ悲惨であり、顧客にガイドたちの揺らぎを感知させ利用させてしまった手落ち。なまくらパンチを重ねてKOとなるボクサーのように、スコット隊は内部から崩れていったのではないか。

さてここからがわたしの推量になるのだが、
"アナトリが無酸素で登ることを、スコットが許可したとは思えない"。
アナトリの無酸素をスコットが許可しなかったという証言はないが、ここまで顧客の無酸素登頂を拒絶したスコットが、ましてや行程の安全を図り責任を持つべきガイドに、無酸素を認めるはずがない。このやり取りは、あるいは顧客たちの前ではなく、スコットとアナトリだけしか知らない場面かもしれない。アナトリは隊長の言うことを聞かなかった。二人は決裂しただろう。アナトリはこのことでなんらスコットとは問題はなかった、自分の行動はスコットも了承していたと言うが、その言葉を、わたしは信じない。以上推量部分。

アタックを前にして、ロブ隊の顧客が、テントを横切るスコットの厳しい暗い表情に、驚いたという証言がある。いつも、隣のロブ隊にも、明るく振舞っていたスコットとは思えないほどだったと。スコットはいかばかりの憤懣を抱えていたことだろう。予定がガラガラ崩れていく。しかし明日は全員の命を背負って、頂上へ連れて行かねばならないのだ。
(11)にて、頂上を下ったステップのあたりで、下山してくるアナトリと、登りのスコットがすれ違うとき、平和裏に会話が為されたとは思えないと書いた所以だ。
スコットは言いたかったに違いない。
「アナトリ、せめて今からでもいい、一目散に酸素デポ地点まで降りて、酸素を担いでくれ。そして顧客たちをサポートしてくれ」と。

けれどアナトリは一目散にテントに戻り、(ガイドがテントに一番乗りで戻るとは!)まずはシェルパにねぎらわれて熱い紅茶を飲んだりして、シュラフにもぐって眠ってしまうのだ。それは相当疲労しているだろう無酸素だし。で、天気が急変して、大半の顧客が上に残ってパニックを起こしていたときも、アナトリは眠っていたのだ。1万ドルのニールは顧客たちと奮闘していたのに、2万5千ドルのアナトリは!

こう書くと、わたしが個人的にアナトリ・ブクレーエフを嫌っているように思われるかもしれないが、遭難した人の顔顔が浮かぶと、やりきれなくなるのだ。それは、あのとき、このときこうだったらということの内の、大きなひとつの要因だと思うからだ。もちろんこの件以外にも要因はあり、それは述べてきたし、これからも述べていくが。遭難は元を探っていくと、ほぼ人為的なことがからんでいるのであって、その一つ一つが悲劇に近づいていくのだ。わたしはあの遭難の大きな要因のひとつが、麓にいた時点からじわじわとスコットを混乱疲弊させ、最も重大な日にガイドとしての責務を果たさなかったアナトリ・ブクレーエフにあると思う。

繰り返す。あの大遭難の原因の「大きなひとつ」は、ロシア人雇われガイド、アナトリ・ブクレーエフであったと。