ふたつの別れ・・・義母「悲しい自由」

昨年暮れ、(12月29日) 山梨の義母が90歳過ぎでなくなった。
出会ったころは、明るく強い姑だった。
連れ合いを失ってから、少しずつか弱くなっていった。

なくなる前日、
「きれいな花じゃんねえ、取ってこうし」と言ったそうだ。
花が大好きだったお義母さん、花畑を見たのねえ。

仏さまが、最後のご褒美でしょうか、よくやった、と。
戦争を切り抜け、養蚕の山梨を桃と葡萄の国にした先駆者だ。
時代の証言者が、またひとりこの世を去った・・・

29日朝、夫の実家(跡継ぎの嫡男夫妻)から連絡が入り、
どうも様子がヘンだと。先週お見舞いにいった時は元気だったのだが。
夫はすぐに出かけた。車の中でケータイに、
こん睡状態になった、いよいよかもしれん、急げ、と。

まさに
「母の命をひと目見ん、ひと目見んとぞ」・・・

幸い道路は混んで込んでいなく、鎌倉からノンストップで走り続け、
昼過ぎに到着、名を呼ぶと、義母は瞼を動かして。
やがてなくなった。
葬儀は年明けて1月4,5日。

夫も野遊も、これで双方の両親をなくした。
何をしても叱られることも、褒められることもなくなった。

親は子供を褒めたり叱ったり、
子供のために悲しんだり喜んだりしてくれる。
それは親が元気なうちだが、すでに何の助言も得られなくなってからも、
そうであった親が生きているだけで、
子供はその存在から、無言の叱咤激励を受けているのだった。
見守られているという意識は、なんと大きなよりどころであったことか。

自由だ。自由になった。
・・・なんと悲しい自由だろう。