ヒマラヤ山行(44)番外編 ネパールを思うⅦ 「物乞い」

街のそこここに座り込んでいる乞食。昔絵で見たような、本格的な乞食だ。歩きながら人にまとわりついて物乞いする乞食たちも多い。
若い美しい女性が片手を差し伸べ、片腕に裸の赤ちゃんを抱いて、哀しげな、物憂い目で見つめながら低い歌のような言葉を発し続ける。野遊は思わずその手に、持ち合わせのお札を握らせてしまうのだった。

すぐにドル紙幣が出ないこともあった。野遊は、彼らに何かを渡すとき、そばを歩くクライアントがたに知られないように苦心していたので、あからさまには手渡せなかった。ポケットにのど飴が2個、入っていたのを急いで手渡したこともある。

「物乞いは無視すること。物を与えると彼らは味をしめて増々観光客を追い回す。ほかの観光客に迷惑がかかるから」「物を与えると癖になる。彼らは自分で働かないで物乞いするのだ。増々怠け者になる」「物を与えるのは、自分が優越感に浸るための行為に過ぎない」と、複数のクライアントが野遊に説いてくれた。

最初に説かれたとき、それはもっともらしく聞こえた。野遊はだから、彼らが寄ってきても無視しようとした。それなのに、寄ってこない乞食のおばあさんに、野遊は最初の寄付をしてしまった。道端にうずくまり、小さなお孫さんと一緒のおばあさんだった。衝動的に行動してしまったのではない。往きの通り道で彼女を見た。帰りもそこを通ることになっていた。野遊はドル紙幣を握りしめて、通りすがりに素早く渡した。だれにも見つからなかった。けれど自分のコソコソした行為に、野遊は何か悪いことをしたような気分になっていた。

そのあと、やはり子供を抱えた中年の女性が我々一行についてきて、しきりに何か訴えながら手を伸ばしていたので、野遊は後ろを向いたまま、彼女の手にドル紙幣を渡した。彼女は短く「Thank you」と言った。あれで何を買うの…でも今日だけね…いや、今日だけでも何かが食べられる。子どもさんも食べられる。

このことがきっかけで、野遊は秘かに決意してしまったのだ。乞われたら渡そうと。際限なく渡そうと。

「ほかの観光客に迷惑がかかる」ですって? どういう迷惑ですか。あなた方は振り切れるのだからそうすればいい。振り切ることだけが迷惑なら、それは贅沢というものです。それくらいの煩わしさは、別に大したことじゃないでしょ、彼らの困窮の前では。接触されたり引き留められるわけではない。知らん顔してずんずん歩き過ぎれば済むことだ。

「与えれば癖になる」ですって? ずいぶん穿った目線ではないか。犬じゃあるまいし!(犬にだって失礼だ) 
ろくな教育も受けず、視野も狭いまま長じて、夫は出稼ぎでいない。入金が途絶え、子どもを抱えてどうすればいいのですか。あなたが彼らだったら、どうするのですか。
「優越感に浸るため」の論理に至っては、お話にならん。

そして繰り返し前述しているが、これらのことは、こうだという決め手、正解は見当たらず、乞食のおばあさんも、もしかしたら少女を借りてきてカムフラージュに置いているのかもしれないのだった。けれど頼みにしていた息子さんが出稼ぎ先でなくなってしまい、その妻は失踪したのかもしれないのだった。

日ネの親交会、友好会が行っていることも、彼らに何かを与え続ける行為である。それは乾いた砂にわずかな水が吸い込まれていくような、あまりに些細なことだろう。でもとりあえず、その恩恵を浴びた人は、その場だけでもわずかに潤うのだ。何の解決になるかって、もしかしたら却ってよくない結果になる可能性もあるかもしれない。けれどそんなことばかり言っていても、さらに何の解決にもならないのだ。今、目の前の、できることをする。一時的にひとつのお腹が満たされるだけのことであっても。

野遊が施しをしているところをついに目撃してしまったクライアントから、ちょっとお説教されてしまった。謝ったけど。それはクライアントがたは野遊より人生の先輩で、それなりの思想があるので、今それを討論し合っても所詮理解し合えないだろうし、そして何より討論に持っていってはいけないのだ。これは「見知らぬ者同士が集合して長期間トレッキングを共にした帰りの道中」なのだ。

「その人だけを助けてどうするの?」という言葉は、よく使われる。だとしたら日ネ親交会、友好会とかの行為も同じである。おそらく正解はなく、不正解もない。
ネパリは云々、と言っても野遊にはこの現実をどうにもできない。ネパールの政治は云々、と言ってもこれまたどうしようもできない。ネパール政治家の絶大なるリーダーとして広範囲な世界観を以って観光産業を見つめ直し国民に仕事を作り国を向上させることもできない。神の手になってネパリドックをブラッシングすることもできない。ゾッキョの苦痛を軽減してやることもできない!!!



            *次回ヒマラヤ山行(45)番外編「ネパールを思う」終章*