朝日連峰北方 12 無人小屋にひとりで泊まる初体験

2012 9/10(月)天狗小屋15:00a
天狗の小屋はひっそりしていた。昨年の夏に2泊、秋に1泊して以来だ。夏の宿泊は、件の水をもらってしまった山行なので次の日の稜線を断念し、日が余ってもいることで連泊したのだった。初日の晩は渓流釣りの人たちも混じって和やかだった。2日目は同じ連泊の写真家のM氏がカメラを持ってお散歩、天狗さんは草刈り機を引いて天狗尾根を行き、野遊は障子ヶ岳を観に行き、このとき天狗さんが貸してくださった大きな望遠鏡で、びっくりするほど真近に山々を見たのだった。二晩めは天狗さんとM氏と、もう一人「天狗小屋にMy座椅子を常備している常連客さん」との3人で、飲んだり食べたり話したり、また楽しい時を過ごした。

秋は西川山岳会の登山道整備の日に山じいが重ねて、皆さんと天狗で合流、夜は名物芋煮会に参加して、皆さんが登山道で摘み集めてきたキノコのどっさり入った里芋鍋を囲んだのだった。

そんなわけで天狗の小屋は三晩共、豊かな思い出があり、今だれもいなくてひっそりとしていても、そこここに温かい空気を感じる野遊だった。重い戸を開け「こんにちは!」と入り、「お世話になります」とお辞儀した。

小屋はきれいに片づいていた。でも床を掃除した。使用料の1500円を箱に入れる。野遊は階下を使用することにした。トイレなど出入りしやすいから。服を脱いで、まだ陽の射している外に干し、水汲み用の大きなペットボトルを拝借して水場まで一気に下り、顔を洗い歯を磨き、水を汲んだ。おや、缶ビールが冷やされてある。今からだれか来るのだろうか。

野遊は、だれかがここから出発して、今日のうちに戻ってくるので、ビールを冷やしてあるのかと解釈し、これから人が来るのを期待してしまったのだが、どうやらあのビールは、小屋番さんが、登山客のために用意してあるもののようだった。飲みたい人はどこかにお金を置いて行くのだろう。天狗の小屋は、山田天狗さんから石川天狗さんに、今年の春交代したが、いつも登山客に慕われる小屋、という感じだ。

だんだん暮れてきた。やっぱりだれも来そうにない。野遊は、石畳の登り道から、なんだか山じいがやってくるのではないかと、今の今まで思いもかけなかった期待をした。来るはずがない、でも来ると思って眺めてみよう、などと心で言いながら、昨年登山道整備を終えた西川山岳会の人たちが、こちらに向かって歩いてきた尾根を見つめた。

ガスが湧いてきた。夕陽が赤々と山肌を染め出した。そろそろ17時になる。服を取り込んで部屋に吊るした。外明かりがあるうちに食事の支度だ。コンロはいつになっても、点火の「ボッ!」が怖い。ひとり分のコッヘルに沸かしたお湯を、ドライフードのちらし寿司に入れて15分で出来あがりだ。あとはトロロのスープ。ドライワカメをどっさりスープに入れた。

外はガスが立ち込めているが、合間から薄く月明かりが漏れていた。やがて月が隠れて漆黒の闇となった。野遊は時々ライトを消して、これが暗闇、ライトをつけて、これで周囲が見える。ライトとはありがたいものだなどと思った。目の見えない人は、どんなに不自由な世界で暮らしているのだろうかなどとも思った。

シュラフの下に、小屋にあるビニール製のゴザをあるだけ敷いた。といっても2枚しかない。ほかに登山客がいたら独り占めはできなかっただろう。

目を閉じてしばらくすると、体は温かくなってくるのだが、床側の体が冷えてきてどうしようもない。竜の小屋でもそうだった。結露の出ない床だそうだが、この素材はなんだろう。自分が寝ていた床を触ってみても、ひんやりと冷え込んでいて、人の熱で温まらない。ゴザごと冷え切っている。やっぱりマットを持参すればよかった。昨秋はさすがに10月下旬ということで持参したが、9月なので小屋の敷物を借りればいいだろうと思って、あのかさばりを敬遠したが、失敗だったかな。
ブルブル、10時になっちゃった。

窓のほうを見あげれば、四角くわずかな灰色が浮かんでいる。あれが窓だな。目を転じると何も見えない。この程度の窓明かりとは他愛もないものだな。

無音だ。本当の無音とはこういうものか。霊とか、あれこれ想像を垂れ流すと発狂しそうになるだろうから、何も考えないでいよう。ゴト。ギョ。あ、自分が立てた音か。無音は怖いけれど、何かが聞こえたらさらに怖い。外だったら動物だろう。オコジョが音を立てたりしないだろうから、音がしたらだれだろう、大きな動物かな。熊でしょうか。もし窓の外を覗いて、熊がいたらどうしよう。じっとしていればいい。もし熊も寒くて、戸を開けて入ってきたら二階に逃げよう。熊も階段を上がってくるだろうか。そうしたら非常口の踊り場に出て、あの重いドアを閉めよう。12時になっちゃった。床が冷たい。

思い切って起きあがり、明かりをつけて大開拓した。ザックを開け、下半身に敷く。枕にしていた衣類をばらして背中に敷く。ダウンのベストは腰に敷く。雨具もみんな敷く。さあ寝よう。熊さんお休み。