朝日連峰北方 11 卒業!

ryo-rya2012-10-15

下方に見おろせる天狗の小屋を目指しながら、野遊はここで、昨年のあの登山を総括して卒業しようと思う。

今までの野遊の登山での飲量を元に持参していった水が、あの日は足りなくなった。
あの日は稜線でも水不足で、ほうほうの体で収容された登山者もいたとか、ブルーベリー氏でさえもいつもより遅い時刻に小屋に着き、水が、水がと言っていたと(天狗さんから)聞いたし、同日、穂高連峰もすごい暑さで、遭難者が出てもいる。ということは暑かったので特別か?・・・違うと思う。野遊も、もっと長い山行、暑い山行はあった。

前夜眠れなかったことも、野遊にはしょっちゅうあることだ。ではなぜ・・・

朝起きた瞬間から、野遊のペースがちょっとずつ崩れていっていたこと(前述)。また、歩きはじめてすぐに、あとから追いついたブルーベリー氏がそのまま追い越さず、一緒に紫ナデの手前まで何も食べずに登ってしまったこと。野遊の優柔不断さから予想外の行動となってしまったこと。

それら小さなパンチが重なって体に変調をきたしたから、愚かにもシャリバテしてしまい、異常に水ばかり飲んで足りなくなったのだ。

汗がパッタリやみ、熱射病を意識してからは、頑張って早く歩いてはいけない、ゆっくり少しでも前に歩を進めようと言い聞かせて歩いていた。なかなか進まなかったが、野遊の心は前向きに、つまり「もうダメだ」ではなく「天狗の小屋に着こう」と思って歩いていたのだ。

ブルーベリー氏が迎えに来てくれたとき、野遊は歩いていたのであって、へたり込んでいたわけではないのだ。

けれど彼は野遊をその場で座らせた。野遊はありがたく水を飲んでから、さあ行こうと立ちあがった。彼は天狗さんが来るまで待ってと言った。あれを今、なぜだろうと思うのだ。野遊は水を飲んではっきりした目で時計を見ていたので、20分も座って待っていたことに焦りを覚えたものだ。

そして天狗さんが来て、野遊は立ってお辞儀をし、すぐに行こうとした。「寝ていなさい」と天狗さんは言った。なんで!?道に寝るのなんか嫌ですが。でもこういうとき、バテタ登山者は「大丈夫です!」とムリに我を張る話も聞いているので、仕方なく再び座ると、天狗さんは「収容しました」と交信。

これは小屋番を依頼している志田氏と、朝日連峰中の山小屋交信だ。紫ナデ手前で野遊と別れて先に行ったブルーベリー氏が、野遊の到着が遅いのを心配して迎えに出るとき、天狗さんは小屋番として自らも出て行くことにして、その前にしかるべき手続き(交信)を済ませ、ブルーベリー氏のあとを追ったのだ。

天狗さんが追いついたとき、二人は座っていた。だから天狗さんは野遊が、もう歩けないでいるところをブルーベリー氏に発見されたと思ったのかもしれない・・・そういう形に持っていきたかったとも言えるのではないか。

ようやく歩くことになるまでのロスタイムは40分を超えていた。しかも野遊を気遣って相当ゆっくり歩いた。野遊はもう観念してはいたがのろすぎて、つい足が前に出ると、天狗さんは野遊のザックを押さえて「もっとゆっくり」と言ったが、そこから小屋は間もなくであっても、これでは小屋に着くまでに暗くなって当然である。

山小屋番人事情でもあるのだろうか。
「ある条件」を満たしたら救助とみなされる、など。これはいずれ、何かの折に(この件についてではなくて)こういうたぐいの事情を調べてみたいと、野遊は思うようになった。
(こんなこと書いちゃって、朝日の番人さんや山じいに叱られるだね)


天狗さんは「あんなもの遭難の内に入らない」と言ってくれたが、竜の小屋の遠藤さんには「けれど朝日連峰のすべての小屋に、これから救助に出るという伝令が飛んだ」と言われた。(つまりみんなで心配したんだよ、という意味でだが)
橋本荘の女将さん方は、野遊が「あの日、動けなくなって登山道にうずくまっているところを救助された」ふうな印象を持っていたのだ。ほかの山番がたも、そう思っているのかもしれない。


・・・もういいか。ここまでで。野遊が自分の中で把握できるものがあればよしとするかな。とにかくあの日のお水は、この世の最高のおいしさだったことだけは一生忘れない。ブルーべリー氏への恩も、天狗さんへの感謝の気持も、野遊が上記のことを考察したところで決して薄らぐものではない。

そしてそんなに行きたかったのかと、野遊が撤退した天狗尾根をその秋に、野遊を連れて歩いてくれた朝日のミナグロ、山じいのことも。

天狗の小屋が近づいてきた。こんにちは天狗小屋さん、へたれ野遊がまた来ました。今晩お世話になります!
野遊はあの日の息苦しい思い出から、今日、今ここで、「卒業」だ。
明日からは心の重荷をすっかり降ろして、新しい心で朝日連峰に登ります。