呼吸の世界 22 遭難事件後のバーサス

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(28)2冊の本

ジョンの『INTO THE THIN AIR』出版後、アナトリが出版した『DETH ZONE』は、文筆家のG.ウェストンデウォルトが著述、アナトリの言葉などを組み入れながら語られてある。アナトリがウェストンデウォルトに取材させて書かせた。記録書の意味以外に、ジョンの記述でアナトリに向けられた批判部分を正当化しておきたい、という主旨があるので、自分が執筆するよりも、こういう場合は効果的だからだろう。

執筆した側はそれが仕事でもあり、アナトリの言動を全面支持し、ジョンと対抗する。顧客レーネも、無酸素登頂問題でスコットと対立し(前述)、ガイドのニールの優柔不断さに信頼感がなくなっていたので、アナトリを支持した。入山からアタックまでの経過の解釈は人それぞれで、アナトリを支持する人々がでてくる。ジョンの本にクレームをつけてきた人もあった。ジョンが当時の自分の行動に悶々としていることについて、それは当然だ、あなたはその失態に苦しむべきだという内容の批判文を送ってきたそうだ。

ジョンがアンディを見間違えたり、ベックを置いて下山したり、顧客が遭難彷徨しているときに、テントでくたばっていたりしたことは、ジョン個人は悶々とするだろうが、他者が非難することではない。ジョンはガイドではないのだ。だれにも負担をかけずに登頂し、下山した顧客なのだ。

わたしの感想では、ジョンはアナトリを個人攻撃はしていないように思う。自分が見聞したことを、デフォルメせずにそのまま記述し、読者の判断に任せている。しかしそこには当然ジョンの感情が匂い立つ。(日本の福岡登山遠征隊について書いたのと同じように。あれはもっと慎重に調べ進めるべきだった。あるいは、せめて後日注釈を入れるべきだった)しかしアナトリについては、あれ以上の何を慎重に調べられるというのだ。

文章それ自体に攻撃されなくとも、アナトリは、それを受け止める読者の感情が気になるだろう。書かれたことに偽りがあれば、否定して攻撃できるのだが、そうではないので、その事実をどう解釈するかを争うしかない。こういう争いは結論が出ないものだ。アナトリはその方向に持っていった。

アナトリの講演(パネディスのようなものだったそうだ)の観客席で、黙って聴いていようと思っていたジョンは、思わず立ちあがり、ここで両人は直にバーサスの時を迎えることになる。あれこれ言いたいことがあったが、ジョンは最終的に、アナトリが無酸素で登頂したことに的を絞った。
アナトリは余裕をもって否定する。あの無酸素登頂は、スコットも含めてすべて了承済みのことであり、なんら問題はなかったと。ジョンは怒り心頭に発して声を荒らげた。先に感情的になってしまった。外側から見れば、冷静に受け答えるアナトリのほうが優勢だっただろう。

ジョンがカッカして帰る途中、アナトリが近づいてきて、ジョンをのぞきこみ、笑みを浮かべて、あの無酸素登頂は、正解だったというようなことを、ささやいたそうだ。