ヒマラヤ山行 (5)王子様の話

ルクラ…ああルクラ。懐かしいルクラ。初めてだけど。

加藤保男さんは大きなキスリングを背負って、このルクラを通過したのね。
日本での壮行会で保男さんに初めて出会った金田正樹Drは、ナムチェのあたりで彼がひとりで集合地点にやってくるのを見た。

無精ヒゲに、すでに擦り切れたシャツ、まだ会って2度目だというのに開口一番、「ドクター、なんか食わせてくださいよ」と言ったとか。
「王子様はお疲れのようだった」と金田Dr。

壮行会では、世慣れぬ貴公子のように初々しく美しかった保男さんが、日焼けして疲れ、まだ親密な関係になる前の人に、くったくなく甘える。兄姉の末子ということもあるだろうけど、素質が王子様なのだ。
金田Dr、そんな彼の様子に早速愛情がほとばしっている感じ。

Drは、エヴェレスト・ビューで彼にステーキをご馳走したそうだ。何のステーキだろう…ヤクだろうな(>_<)

お兄さんの滝男さんの不参加により、ピンチヒッター的に起用された保男さんは、すでにヨーロッパ3大北壁を鮮やかに登攀し終えている若き天才クライマーであり、このたびの第2次RCC登山隊の中でも最年少者だ。
高山病症状でくたばっていく隊員や、最終アタックのために体力を温存しておきたいと思う隊員たちの中で、エヴェレストBCから上部へも、彼は力を惜しまずにポーターたちに交じって荷揚げを繰り返した。そして最後まで元気なままで残り、ついにサミットアタッカーに指名される。

石黒久氏とともにサウスコルから出発した保男さんは、フランス製の酸素ボンベが不良品で、新品なのに残量がないことを知るのが出発してかなりたってからのことで、彼は実質上無酸素状態でエヴェレストに立ったのだ。世界初だ。

そして登頂後、8650mというDEATH ZONEで無酸素ビヴァークした。世界初だ。

この栄光と引き換えに、保男さんは両足指を落とした。
この執刀医が金田Drだ。
当時の日本の凍傷医としてトップの位置にあった金田Drは、加藤保男、吉野寛、禿博信、木本哲、山野井泰史・妙子氏などの凍傷を治療、執刀している。

最近では登山ツアー会社アミューズによるトムラウシ遭難事件の現地検証に立ち会い、医学的見地からの貴重な資料も残している。

保男さんは足指だけでなく足の裏も半分近くまで落としてしまうのだが、リハビリに励み、岩壁ができなくなったのならと、意識を転じてエヴェレスト王子となってネパール、チベット両方からサガルマータとチョモランマを登った。世界初だ。

そして厳冬期のエヴェレストに無酸素で挑むこととなる。世界初の挑戦だ。

野遊はこれ以上書いたら当然メスナーのことに筆が及ぶのだが、それを書くなら違う文献としてじっくり(彼の人間性についても)追及すべきなので、ここは収めておく。無視。

保男さんが3冠王となった直後、ジェットストリームに飛ばされて還らぬ人となったとき、金田Drは「・・・バカな奴。」と書いた。
公の文章にして書けるほど、彼は保男さんを愛していたのだ。

あの日、野遊は床に倒れ込んで慟哭した。毎日、どうか無事でと祈っていたのに!
もう誰とも、何とも競わないで!って、彼が出かけるニュースを見るたびに強く思っていた。それでいて自力で計画して成功したマナスルゥのニュースなど、やはり快哉を叫んだ。で、だからもうやめてねと手を合わせたものだ。

ああ死ぬ、今度こそ死ぬ、死んじゃうわ、と、毎回思った。

エヴェレストなんてどうでもいいから、王子様には生きていてほしかったわ。

ああこんなに苦しいのなら、今後二度と、決して、登山家を、たとえひとりのファンとしてだけでも、好きになりませんと誓いを立てた32年前のあの日。

ルクラよ、ルクラ、この空気に包まれた加藤保男さんを、野遊に感じさせてください。