野遊・呼吸の世界  21  ジョン・クラカワーの偏見 

(26)ジョンは、もっと慎重に書くべきだった

アメリカ人のジョンも、西洋人より東洋人が劣っていると思い込んでいる人種で、その東洋人の中でも世界的活躍の目立つ日本人はどうも好かん、という感情があるようだ。いわゆる偏見だ。

ロブ隊の顧客8人の内、女性は一人、日本人も一人。難波康子だけだった。「この日本女性は」という表現があり、気になる。何ヶ月も共に行動した自分の隊の仲間なのに、名前を呼ぶこともなく、会話もなかった、ということだろう。

ほかの顧客は名前で書いている。他隊の顧客ももちろん、そして女性も「サンディ」「レーネ」「シャーロット」など名前で書いている。アナトリの本もそうだが、それは他隊の者として仕方ないだろう。が、ベックにもその傾向がある。後半は共に倒れていたので、名前を書いているし、日本用の出版に際して、前書きなどもフルネームで書いているが。おとなしくふるまっていた康子は、日本女性だというくらいしか印象になかったのだろう。ま、ここに植村直己みたいなのがいたら、最初から「直己」と書かれただろう。康子の印象の薄さも原因しているのだろう。

(ところでその植村直己も、エヴェレスト国際隊に呼ばれて参加した際、参加者は全員同等のはずなのに、「われわれ東洋人に対する扱いはどうも(西洋人の)登攀のための基礎工事人扱い」と嘆いていたものだ)

台湾隊の高に対しても、高は事実として、何点も失態を犯しているから、ジョンの書き方に惑わされずに読んだとしても、やっぱり非難されるべきと思うが、それがいかにも蔑視した書き方をしている。これは高が台湾人だからではないかと。


(27)福岡登山隊も登頂

同じ日に、チベット側からチョモランマに登頂した日本の福岡隊について、ジョンの書き方に問題がある。ジョンはさっと短く切るような非難の文章を書いているのだ。そこだけ読むと、日本人はなんとまあ嫌な奴らだろうと思えてしまうのだ。

ジョンは、インド遠征隊員が頂上の近くで倒れているのを尻目に、日本人はエヴェレストに登って行った。水も与えなかった。と忌々しそうに書き捨てている。
日本隊はジョンの文章も巧を奏して、立つ瀬がないほどさんざん非難されたのだ。

呼吸の世界で、1メートル余分に歩くことがどれほどのことか。命と引き換えになる場合もある。頂上を眼前にして、残るエネルギーを全開にしてラストスパートをかけているぎりぎりの地点で、そこに倒れている見ず知らずの人を、どうやって救助できるというのだ。意識があって、助けを呼んでいるのとは違うのだ。インド隊が出した救助要請を、日本隊は11日に受け取っている。下山してからだ。

自分の貴重な登山をフッてでも、登山者は遭難者を救助するべきという暗黙の約束事がある。登山回数が多いほど、そういうことにぶち当たり、無念の涙を呑む場合も多いが、彼らは、それでも、人名を助けたことで納得してきたのだ。日本人は特にそういう美点に恵まれた民族で、そういった話はそれこそいくらでもあるのだ。それを、こともあろうに人命を見捨てて登っちゃったなんて解釈される文章に一人歩きされては、ジョンは許しがたい。

インド隊は日本隊に抗議した。矢田康史、花田博志、重川英介の福岡隊クライマーたちは、断固として抗弁した。ずいぶんの時を経て、ようやくインド国際隊から「わかった」という了解を得た。事は解決したが、それは、この事件を興味を持って追っている者が知ること。多くの人々は、日本に疑念を抱いたままだ。今後、ジョンの本を読む人々もだ。それを思うと不快限りなしだ!ジョンはもっとちゃんと調査してから書くべきで、せめてあとがきにでも事件はかくかくしかじかと追記すべきだ。日本語訳される際に、訳者は打診しなかったのか。日本人も弱腰な!