朝日連峰 障子ヶ岳 22 「寒河江」

Mさんの車に乗車して寒河江の駅で降りた。ここで別れた。よく見ると西寒河江の駅だった。無人駅舎だ。寒河江にはここから1駅なのだが、2時間も待たねばならない。Mさんは、通りすがりだと言っていたが、通りすがりでも、本当ならここは通らないのを、わざわざ寄ってくださったのだと知った。気持に感謝だ。

まわりはがらんどうに広いのだが閑散としている。タクシーも通らない。バス停を探した。ない。聞けるようなお店もない。ぼんやり歩いていたら、門構えの向こうに、男性が車をいじっている姿が見えた。住民発見。この人に思い切って声をかけ、寒河江へのバス停を聞いた。

その人は「さぁ」と首をかしげる。???この人は「自分はこれから寒河江に行くので車を出すところです。どうぞ」と言う。なんという好運か。この人は明日東京で講演があるので、切符を買いに行くのだそうだ。講演氏の車で寒河江に連れていっていただいた。感謝、感謝の連続。東京ではあり得ないことだ。あったとしたらかえって怖い。

寒河江駅で、天狗の小屋付近にいた上からの登山者に会った。天狗さんが「林道からは車に乗せてあげる」と言った登山者だ。歩いたという。そして大井沢から寒河江行のバスに乗ったと。そうか。野遊もだんだんここらの交通網事情がわかってきた次第だ。これからはもっと便利に動けそう。

それにしても、大井沢から寒河江へのバスがないという事実があるので、ここら辺の事情は野遊はもうわかりません。なくなったということなのかしら。

寒河江の駅の展望台室から街を眺めた。遠く朝日連峰が見える。目の前にどっかりとあるのが葉山だそうだ。その右隣は奥羽山脈だそうだ。こんなきれいな景色を日常で眺めて暮らしている人々だ、心も豊かになるのだろうな。

新幹線の車窓から山々を眺めながら、野遊は昨年のことを思い出していた。

「歩いた」「終わった」という感慨に、思わず涙が溢れた思い出。今日の野遊は、何かを押し沈めるような気持で山を眺めている。

得ようとして得られなかったものは大きい。しかし得ようと思わなかったものを得た。障子ヶ岳は野遊の心で不気味に屹立し、思い描きたくないほど嫌だ。と、書きつつも、溢れる障子ヶ岳への賛美の感情はどうだろう。朝日連峰への恋慕はどうだろう。

今回スピードアップして続けて書いてきたのにはワケがある。実は野遊は、あと三日でこのシリーズを書きあげてしまいたいのだ。ロシアに行かねばならないのだ。観光旅行などではない。年に1度の夏山シーズンを、旅行に費やすなどもったいないことはしない。ある視察団の執筆係という用事で行く。帰国してからこの続きを書けるかどうか。今この思いの中で書いてしまいたいのだ。大げさに言えば、これを書いておかねば次のことができないのだ。もう少し時間がほしく、今はまだ感情的にきついのだが。