大黒屋光大夫を辿る旅 14 ロシアとダーク・ダックス

1992年12月、ソ連崩壊の日、ダーク・ダックスは、結成40周年記念イベントとして、アメリカ、ロシア、日本と股にかけたトライアングル・コンサートのまっただなか、ソ連にいた。
以下はゲタさんの言葉。『アヒル読本』より。

「ある朝起きたら、違う国になっていた」
「朝食に注文したトーストとコーヒーとオムレツが、翌朝になったらものすごく安くなっていた」
「やがてドルしか受け取らなくなっちゃった」
「泊まっていたホテル、前の晩までは夜は静かなものだったが、体制が変わった途端、その日の夕方には売春婦がホテルの前にゾロゾロと」
「ホテルでは、部屋に入るまでは、鍵をずっと握っていろと言われた」

モスクワの公演会場「ロシアホテル大ホール」で、いつもは無愛想な役人方が僕らの前に来て、「今日でわたしたちの仕事は終わりです。長い間お世話になりました」と、目に涙をためながら、お土産にと、僕らひとりひとりにバラライカをプレゼントしてくれた。(それはソ連の省庁が閉鎖された日だった)威張り散らしていた役人の面影は微塵もなく、僕らもついホロリとして「スパシーパ(ありがとう)」と繰り返すだけでした。

モスクワ公演を終え、「次ぎの公演予定地、サンクトペテルブルグレニングラード)には、いつ行かれるのですか?」とインタビューされ、「明日の朝、1便の飛行機で」と答えたら大笑いされた。「飛ぶわけないでしょうが、ロシアにはガソリンがないのですよ!」と。結局夜行列車で行った。

サンクトペテルブルグの公演では、コンサート会場の女性館長が抱きついてきて、頬にキスの雨。「前にいらした時、私はスタッフとしてお手伝いさせていただきました。今日は館長としてお迎え出来てうれしいです」と。

ロマンティックな白夜に、リラやスズランが咲き乱れ、美しさも格別でした。

以上ソ連での最後となったD.Dコンサートの話を挿入しておく。
「リラの花咲くころ」「スズラン」の歌声が聞こえてくる・・・

日本人がロシアを訪ねるとき、こんなに深く美しい歴史を刻んでいったダーク・ダックスのことを、どうか思い出してほしい・・・