朝日連峰 この秋 22 「スーパー林道」

どこもかしこもスーパー林道、何々ハイウェイ、乗り物を降りればそこはサミットという山も増えている。ロープウェイやリフトの道を登って、あるいはそれらを使用して、反対側をバスで降りるという山もある。そうなればそれで旅行をする層も当然増えて、いい景色を楽しめる一般観光地となる。宿泊施設も豪華になって廃棄物も増え、観光客はゴミを落としていく。どんどん入山できると、不心得者が比例的に出てくるのはなぜだろう。山小屋の人は何で廃物を山に捨てるのだろう。

尾瀬の悲惨さは語れない。せめて野遊は尾瀬には行くまいと思う。行きたいけど。昔、2回行ったことがあり、紅葉の至仏山、厳冬期の燧ケ岳は体験しているが、水芭蕉の季節に行きたいと思っていた。でももう行かないだろう。どんなに気をつけても、歩けばそれだけ自然を荒らす。あれだけ傷んでしまったのだから、ひとりの登山者が気をつけて歩いても傷つける。はるかなる尾瀬(T_T)

野遊は覚えている。かつての山岳部で南アの北沢峠を登った日、ブルトーザーの轟音が響いてきた。南アのスーパー林道開発。30キロ以上の荷を背負ってフウフウ言っていた先輩が、どこからそんな声が出るのか、登りながら「バカヤロー!」と叫んだ。野遊二十歳。霜柱をザクザクと踏みながら、23キロのザックに腰を曲て、長い長い北沢峠への道を登った日。(冬期BC放射状アタック)。以降、広河原から早川尾根経由で甲斐駒に行ったが、北沢峠からは登っていない。姿を変えた北沢峠を見たくない。

ゼネコン、ダム建設、原発の国の威力は、自国を破壊して進んだ。美しい日本語の崩壊と同進行に。野遊は小学6年生の教科書で、「第三の火」(寒川道夫作)という詩を読んだ。「燃えろ第三の火。平和のための良心と共に、燃えろ、燃えろ第三の火」と、結句が謳われる。第1の火は直火であり、人間は地球の王者の座を得た。第2の火は電気で、地球をかけめぐる。そして第三の火が、原子エネルギーだ。12歳の野遊は教え込まれた。原子力の平和利用への意義を。どうやって、どこで目覚めるというのか。今になってだから言ったじゃないのと、何を否定する資格があるというのか。恩恵を浴びてきたのだ。
野遊にも罪があるのだ。けれどどうしたらいいのだろう。
先輩の「バカヤロー!」の声が忘れられない。

山が泣いている!石灰石収集のため、武甲山はサミットも爆波されて高さが変わった。動物が、鳥が、虫が、植物が死んでいく!植物の微かな呼吸が、虫のわずかな羽風が、汚れた空気を浄化していくのだ。(貝の吹き出すひと泡が、1ミリメートル四方の海水を浄化するのだ) その集大成が、地球を保っているのだ。それらを追いやって、人間に、何の明日があるというのだろう。

かつて朝日に計画されたスーパー林道は、南は大朝日から、葉山、愛染峠を抜けるという大規模なものだった。これは「朝日〜小国線」と呼ばれ、山形の最上山地から福島の会津山地へと、幅7メートル、64キロの道路計画だ。絶滅危惧種クマタカの営巣を破壊し、ブナの原生林をぶち抜き、豪雪地帯のために1年の半年の休止工事期間に、軟弱な花崗岩の風化地帯は路面に亀裂が生じ、崩落箇所が追いかけっこのように増えていく。

着工されたとき、山形県としての意見は、「関係自治体、地元民の期待は極めて大きい」であった。山形県長井市の市長は「林業振興に必要ない(観光目的の)林道の建設はやめてもらいたい」と述べ、山形県の幹部や建設推進派の首長たちからモウレツな圧力をかけられ、発言撤回をしている。(加藤久晴著『傷だらけの百名山』より)

動き出してしまえば便利もあって、そういうものかと麻痺していくのが人間というものだろうが、あとで泣くのも人間だ。大自然が壊れたらどうなる。それを先取りに察知して、「葉山の自然を守る会」はじめ多くの地元民がた、ひいては日本中の心ある人々の訴えも地道で重く、7千通以上集まった異議意見書にメディアが動いた。1996年全国ネット『ドキュメント・届け!クマタカの叫び』(山形放送)は、「地方の時代映像祭賞」を受賞した。

世論をリードした反対派の熱心な活動と、造りにくくて見通しの立たない林道状況などから、1998年、ついに国の大型事業は中止が決定された。14キロだけが、税金の無駄遣いと自然破壊の象徴「林道の破片」として山に残った。(「70億円、林道の破片に」という表現は、当時の朝日新聞の見出しから)

ところでこの時期の総理は橋本龍太郎。彼は1970年代にエヴェレストの登山隊長をやっていて、捨ててきた自分のネーム入りの酸素ボンベを、清掃登山の野口健さんに持ち帰られ、みじめな再会をさせられた、以後二人は仲良しになった、というエピソードは有名ですね。

ともあれ朝日をこのように守った東北はグレイトであり、こうなったからにはこれからも守るぞ、という意識が、多くの地元の方々の中にも芽生えたのだろう。